『スラチャイ・ジャンティマトン短編集』 荘司和子訳

目次    


「ドクアライゴマイルー」序文

何の花だ?

孤独

路傍の放浪者


路地のつきあたりはサッカーができるくらいの広さの空き地になっていて、道としては行き止まりなのだけれどそこからは人が自由に歩いてつけた道がいくつにも分かれている。ひしゃげかけた小さな夜警小屋が建っている。早朝の柔らかい日差しがあたりをつつんでいた。ぼくの背中は全面じっとりした汗で濡れてしまっている。それがどんどん尻の方まで滴って来る気がする。全身燃えるようにほてっていた。

ぼくはこの広場を12周も走って、それでもう十分だという気がしていた。競技にでようとか記録を破ろうとか思ったわけではない。走って走って身体の中の何かを発散させてしまいたいと思ったからだ。長い間運動をしたことがなかったので、ふくらはぎの筋肉や太ももの筋肉が引きつるように痛む。それで万金油(タイガーバーム)を塗ったところ今になってかっかっとほてりだしたのだ。身体は重さを感じないほど軽くなり、腕も脚も思う存分動かせる気がする。あらゆるもの、何もかもがいい感じに思えてくる。すべてのことの原因は多分こんなことしかなかったのだが。

ぼくはそれまで彼女のことを想ったことはないし、思い出したのだってこのとき見かけたからだ。

誰だったか、ぼくの住んでいるところの近くに綺麗な女性がいる、と言っていたことがある。その後ぼくはある休みの日に彼女を一瞬だけ見かけた。ぼくの家の前を通りがかったのだった。笑顔がこちらを向いていたような。ぼくはまともに見ることが出来なかった。彼女は本当に美しかったので。ふつう美人というのは誰かれとなくみんなから愛されたり好かれたりしているのでぼくは関わり合いになろうとは思わなかった。本心はその反対なのに。

木の古い窓がひとつ大きく開いている。それは古い2階建ての木造家屋で、彼女は2階の小さな部屋で暮らしている。そこ、その窓の開いているところで彼女は今髪を梳いている。三つ編みにしてるのかそれとも何か別なことをしているのかもしれない、大きな鏡の前で。ぼくには鏡は見えないのだけれど鏡だと分かるのだ。彼女の振る舞いが鏡台の前に座った若い女の様子であるのと、ときおり顔に光が反射するからだ。鏡に相違ない。

彼女はまた微笑んだ。なんとまたぼくのこころを魅入らせる微笑みなんだ。ぼくは半ば怖れるとともに半ば元気が沸いた。

路地が曲がりきるところに托鉢をしているひとりの僧侶の姿がある。僧侶の黄衣、平穏、知足。。何故か信仰心を呼び覚まされる。ぼくが座っている路地のつきあたりまで他にも何人かが僧に食事を献じようとして待っている。ぼくは美しい女性の側で心地よく座っているところだ。彼女は今ごろ服を着ているところに違いない。ぼくは見上げてみる勇気もないのだけれど、そうかといってどこへも行きたくないのだ、今は。いずれにせよ何かおもしろいことが次々に見られるような気がして。そう、早朝の風景に出会ったのはこの日がこの一年で初めてといえるくらいなのだから。遅寝遅起きが習性のぼくは今見ているような早朝の空気とか人間模様とかに触れたことがなかった。ぼくは何だかいい映画を見ているような気がしている。ほんとにいい映画だ。

ぶっかけ飯売りのおばさんたちがカレー鍋に飯釜、皿、どんぶり、ざるなどを抱えて次々にやってくる。ぼくが座っているところはトタンを6枚くらい使った小さな差し掛け屋根の下で、不安定な柱で支えている。美術専攻の学生たちが好んで描きたがる水彩画によくあるような風情の。腰掛けるのにちょうどいい高さに床板がしいてあって、ここが路地のつきあたりである。

背後には小さな保育所があり、さらに細い路地が右と左に分かれている。左へ行くと緑濃い庭に囲まれた住宅があり、右へ行くと芥子色に塗ったアパートでぼくも含めて大勢の人間が住んでいる。ぼくの左手には古い木造家屋があり一部屋を貸している。その住人が若くて色白、インド系で鼻の高い美人で、ぼくにはまばゆくこころときめく存在だ。

老婆が遠くからやってくる。しわがれ声を上げて辺りの誰彼となく罵声をあびせている。まるで臍の辺りからふりしぼったような声だ。この老婆は以前から野菜を入れた籠を抱えてここへやってきている。庭に囲まれた家にひとりで住んでいてもう長いことこうしているのだ。庭でとれた野菜をとってきて売っているかたわら猥褻なことばをあたりに撒き散らしている。この老婆を気にかけるものは誰もいない。ぼくもぶっかけ飯売りのおばさんと笑いながらしゃべっているし。

僧侶がひとりゆっくりと近づいてくる。そこかしこで立ち止まっては食べ物と合掌を受けている。早朝の淡い日差しを浴びて黄色い僧衣が何か伝えようとしているように鮮明に写る。顔をくしゃくしゃにしたおかみさんがひとり出てきた。大またでばたばたと歩く。何でこんな風に歩くものか。とはいえそれが自然であるようだ。まあアヒルのように歩くとでも言ったらいいか。起きぬけであるらしい。話すと真鍮の歯が光る。短パン姿もいかにも普段着という風情。

「ちょいとあんた、言ったでしょ、ハチイチ(81)だ、ハチイチ(81)だってさ」
(注:庶民は政府発行宝くじの当選番号の下2桁、下3桁などに賭けて、当たると胴元が金を払う闇宝くじを好む)
数字を聞くやぼくは昨日宝くじの当選発表があったこと思い出した。
「あたしだって持ってるわよ。みんなあってるのにそこだけ違ってるのよ」とぶっかけ飯売りが口惜しそうにぼやいた。
「どこで買ってくるのさ」と、ぼくは少し興味を覚えて訊いてみた。買ったことはないのに(長いこと)。
「この近くの横丁よ」と、彼女はさもあまり詳しく教えたくなさそうに言う。
「このお坊さまはすごく当たるのよ」
「つきがないんだよね。夢じゃ当たってるのにさ、数字選ぶときは間違っちゃうんだからね」くしゃくしゃ顔のおかみさんがまたわめいた。
「ほんとそうなのよね。わたしもあとちょっと、っていうの何回もあったわ」
中年の容姿の美しい主婦が会話の輪に参加してきた。身なりもいいし、ゆったり歩く。美容院のオーナーでそれらしい落ち着きをそなえている。彼女は楽しげに顔をほころばせた。

コンロからおろしたばかりのカレーが何種類もそろって、蓋が開けられると熱い蒸気がいい香りとともに漂ってきた。香りを吸い込むと同時にぼくは空腹を感じた。

甘いものもいろいろあってパートンコー(揚げパン)もある。それに気づいたわけはあの女性が降りてきてひとつ買ったからだ。「あれまあ、自分で降りてこなくたってよかったのにさ」と、物売りが彼女をひやかす。

ぼくのこころは燃えて熱くなる。あの女性がまたこの前のようにぼくに向かってにっこりした。ほんとうに微笑んだのだ、幻じゃなくて。鮮やかな紅色のタイトスカートに白いブラウス、髪は編んで後で束ねている。すらりと伸びた背丈。彼女の姿は再び家の中に消えてしまった。

宝くじをめぐる井戸端会議はまだ終わらない。ぼくはまだ同じところに座りつづけている。まるで何かを待っているかのようにその場に釘付けになって。太陽はじりじりと熱くなり始めている。最前の僧侶は30メートルそこそこの距離に近づいていた。

二匹の皮膚病病みの犬がのっそり目の前を通って行った。そしてぼくは、窓の方を見上げてみようかという自信が湧いた。

若い女が窓に肘をついて外を眺めている。若い女性には違いないが別人だ。この女性はまだ着替えもしていない。これといって関心を惹くようなところもない。その上仏頂面ときている。ぼくは急いで眼をそらし塀から下に視線を落とすとそこにまた先ほどの二匹の犬がいた。

アヒル歩きのおかみさんは帰って行った。彼女は立ち去るときちょっと微笑んだ。ぼくも笑みを返す。同じ路地に住んでいる者同士のマナーなのだ。身体中の筋肉がまだほてっている。肩も腕も汗で濡れている。でも運動をした後の爽快さがある。

「なまずのカレーに豚のから揚げね。頭はいらないわよ。食べられないから」
持ち帰る惣菜を注文する声がしている。
「どんなカレーがある?」ぼくはまあそんな風に尋ねた。
「自分で見てごらんよぉ」

ぼくは黙ったままだ。しきりに彼女の顔ばかりが浮かんでくる。もう一度捜してみたい衝動に駆られるのだけれど、自信がない。まあ、いいか、いずれまた、っていうこともある。きっとまた会うこともあるさ。それにしても今までは関心を持ったわけでもないのに、なんでまた今日ばかりこんなに興味をそそられるのか。

「なまずのカレーを袋に入れてよ」気のない声でぼくは注文した。

ここのぶっかけ飯売りとはそこそこ親しくしている。そんなにしょっちゅう食べに来るわけではないが、ちょっとした会話を楽しんでいる。みんなが彼女をジェーモアイ(中国人の姐さん)と呼ぶ。働き者だが美人ではない。身なりにも気を遣わない。膝上丈のショートパンツを穿いてシャツはといえばいつも汗でよれよれになっている。化粧っけがなくて口紅すら塗っていない。話すとユーモアはあるし言いたいことを歯に衣着せないでポンポン言う。ぼくはジェーモアイが気に入っている。彼女と話をしてさまざまなことを聞くのが好きだ。この辺りの昔のはなし、この辺りに住む人びとのはなし、彼女の家族、子どもとか亭主とかのはなし。。。ジェーモアイの亭主はタクシーの運転手で。。。
ぼくはまだ会ったこともない。。。だから考えたこともない。

この差し掛け屋根の下はいつも寄って、そこに腰掛けたくなるような小さなスペースなのだ。毎日ぼくはそこを通りがかる。ポケットに一銭も入っていない日でも(たとえば今日もそうなのだが)気にすることはない。いつ払ってもいいのだ。

「彼女はどこで働いてるのかなあ」ぼくは尋ねるともなく尋ねる。
「日焼け恐怖症じゃないのかねぇ」とジェーモアイ
「名前はなんていうの?」
「ノーンっていうのよ」
「美人だな」
「そりゃそうだわよ」

最前の僧侶がだんだん近づいてくる。もう10メートル足らずになった。老女がちょうど托鉢用の鉢に食べ物を入れて合掌し拝んでいるところだ。この距離では僧侶の顔がはっきり見える。精神の統一されていることを物語る静謐さを湛えている。インド系のように鼻筋が通っているが顔色は青白く髭の剃り痕が鮮やかに見える。痩身で背も高い。周囲のものごとに対して心を動かされる様子が全くない。そう、そのせいだ、それでぼくはこの僧に惹きつけられたのだ。心の平安が姿かたちに現れている。

「ジェーモアイ」とぼくが呼ぶと彼女は振り向いて、何か、というような視線を投げてよこした。
「ぼくは生まれてこのかた托鉢僧に食事をあげたことがないんだ」
ジェーモアイは意味がよくわからなかったようだ。
「ぼくは宗教からはぐれているのさ」
ジェーモアイはまだ分からない、というような眼で見るので、ぼくは付け加えて言った。
「無宗教なんだよ」
ぶっかけ飯売りは一言も応えなかったがなにやら分かりかねるといった眼差しでぼくを眺めていた。まあ、別にかまわないさ。そんなことに関心はない。

「ぼくも食事を差し上げたい」
「すればいいじゃない」
「どうやってやるのさ」
「そこらの人がみんなやってるの見てないわけでもないでしょ。ああいう風にやればいいのよ」
「ジェーモアイ」
「なによ」
「ぼくの代わりにやってよ。さっきのなまずのカレーでいいよ。ぼくには別にもうひとつ作ってよ」
「自分で差し上げなさいよ。そうしたら徳を積めるのよ」
「ぼくの代わりにやって。同じことだよ。ぼくはどうやったらいいか分からない。やったことないんだから。でもやりたいんだ」

ジェーモアイは分かってくれたらしい。なまずのカレーの包みをとりあげると僧侶の方へ向かった。今、僧はぼくの前一間ほどのところに立っている。他にも何人かの主婦が食事を献じている。ジェーモアイは包んであった紙から中のビニール袋だけを取り出して鉢に入れ合掌して拝んだ。

その僧侶はその間も何事にも動じない静かな表情を変えなかった。一方ぼくはそのときまた顔を上げてあの窓をもう一度見上げた。。。おそろしげな男がその窓から下を眺めている。その男はぼくに向かってわずかに笑顔を見せたようなのでちょっとは救われた気分になった。

緋色のスカートを穿いた女性はまた出てくるとその辺りでちょっとの間何かをしていた。ぼくの気持ちを察してくれているような。。そんなふうに見える。まあ、こんなふうに考えるのはひとりよがりにすぎないけれど、それでもいいではないか。彼女は微笑んでくれたのだから。ぼくは一言も彼女と口をきいたわけではない。女性に声をかけることができないのだ。愚かにもそこにじっと座りつづけている以外何ひとつできない。ぼくは彼女が仕事に出かけて行くのを見送った。まるで女王のように歩いて出て行った。象が歩くような足取りで。昔の人はそれを美しいと呼んだものだ。。。

あの僧侶はどこへ行ってしまったものかもう見えない。ジェーモアイは後から来た客とまた宝くじの一件でぼやいている。あの窓にもう関心はない。ぼくはなまずのカレーの包みを掴むと脚に筋肉痛を感じながら立ち上がってその場所を離れた。日差しはまだやわらかく暖かだった。。。

「昼前に金もってくるよ」と、ぼくはジェーモアイに向かって言った。
返事はなかった。。。しあわせを感じた朝。。。書きとめておきたくなるような。次にまたこんなふうに心地よくいい気分にひたれることはいつのことだろう。


(1988年作品)






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