私の遺伝子の小さな物語(上)

イリナ・グリゴレ

この病院にいても、世界で起きていることを感じる。寝たきりのベッドの近くの窓からは一本の松の木しか見えないのに、この傷んだ身体はものすごく敏感だ。病院の中にいると、この世で苦しんでいる人々が私以外にも大勢いると分かる。今日は大きな手術をして四日目だ。熱も下がって、少しだけど動けるようになった。病院ベッドの食事テーブルの上に、サイエンティフィック・アメリカンの特集、「Evolution — The human saga」がおいてある。入院する前に自分で持ってきたが、まだ読んでない。人間の体の進化は昔に終わったが、それは本当に出来上がっているのか。未完成な作品にすぎないだろう。今日、点滴がぬかれて、やっと自分のこの手で食事をとることが出来た。この手で必死に茶碗を取って箸を持つ。手が震えるけど神経の動きを細かく感じる。箸を持つ動作は、自分の文化には決して見当たらない習慣なのに、この身体はどこで覚えたのだろう。そして、この大変な時でもちゃんと生き残るために、手は震えても箸をちゃんと持って、米の飯を必死に口に運んでいる。

小さな細胞が動くのを感じた。自分の身体に入れるものは、命の秘密を持っているのだろう。食べ物には、生きている食べ物と死んでいる食べ物があると、はじめて気づいた。ルーマニアから送られた蜂蜜を一番食べたいと思った。この前、何千前の古代エジプトの蜂蜜が発見された。まだ腐ってなかったという。我々の身体はすぐ腐るけど。でも生きているうちに傷んだ身体が、命への繋がりを必死に欲しがっている。四日間寝たきりだった私の体が、神秘的な知恵に目覚めたと思った。

この身体は、六年間に大きな手術を二つ受ける運命を持っていた。ベッドから起きて初めの一歩は、この地球に生き返ってきた私にとって、最初に歩いた人間の状態と同じではないか。

手術の麻酔から意識が戻った瞬間に大きなショックを受けた。麻酔で脳が騙されても、体は覚えている。手術の間に起きたことがなんどもなんども繰り返される微細な感覚が残っていた。傷つけられた時を、私の皮膚が覚えている。

病院の長い廊下から動物のような叫び声が聞こえた。朝方までずっと痛みに苦しんでいた鳴き声が自分の肌に響いた。子供の時から知っていた悪魔たちが出始めた。気持ち悪い、醜い者が私に触ろうとしている。私の身体を欲しがっている。お腹が空いた野良犬が肉を発見する時と同じ。この痛んでいる傷だらけの身体はあの悪魔たちのご褒美だろう。

この感覚はどこからきているのかわからなかったが、人間に共通するのは間違いない。見えるまで、体験するまで信じないのは現代人の癖だ。科学の歴史は三百年に過ぎないが、人間の身体とその身体の知恵や生命力はものすごく古い。この小さな細胞に生の秘密、そしてこの地球の秘密、宇宙の秘密は含まれている。キリスト教、仏教でも、世界の宗教では共通している微細な感覚を忘れてはいけない。この痛みを経験したら神様以外に救いはないと思った。

何日か経って、窓の近くまで歩けるようになったら、外の世界が美しかった。病院の裏の子供が遊んでいる公園には赤いブランコがあって、そして松の木は一本だけではなかった。そうなのだ、一本だけで生きていけない、人間と同じだ。病気のことも考え直す必要がある。遺伝子の命へのつながりの道を考えてみょう。

すべての答えはこの身体にあると感じた。手術の一日目のことは、はっきり覚えている。古いオペ室に自分で歩いてお医者さんの説明をうけた。自分でオペ室でしか着ない服を着て、自分で髪の毛を結び、透明のキャップを被った。この動きは自分で意識した上で行った。お医者さんの目を必死に探して、これからこの二つの体の間におきる動きを想像してみた。お医者さんの身体の一部、とくに手が私の身体に入る。これはすごく神秘的な行動だと思った。科学的な知識より手の指先の感覚やビジョンが必要とされるのだろう。お医者さんの目を見て、一瞬だけど私の身体の中が見えた。不思議なイメージだった。こうやって身体は関係を作るのだろう。身体たちを繋ぐ装置は目にあると思った。

ここは『カリガリ博士』の白黒映画の雰囲気で想像してほしい。オペ室の雰囲気は六〇年代の大学病院のまま。フランケンシュタインが作られた場所と似ている。そういえば私もこの世の創作の一つなのだ。あの世から来て、三十年の間に私の身体になにが起きたのか。この六〇年代のオペ室に、私の身体のMRI画像が、大きなスクリーンに映っていた。見るとびっくりするぐらい、ただのモンスターにしか見えない。その後は狭い、スポンジがいっぱいおいてあるテーブルの上に横になる。腕に注射が打たれて、この注射の力に驚く。

私の血になにが入れられる? 鉄のような、重いものが流れる。私の腕が後の川のように、重い石が運ばれる流れになる。暗い……ここはこの世界の底だろう。ここは静かだ。手術中、夢をみたと思う。でも、寝ている間の夢と違う……すごく幸せな気分だった。亡くなった祖母と祖父に会った。私の身体を、三百年の歴史がある科学に渡したと思ったら、あの世への旅になった。あの世にも身体があった。軽くて、動きやすい身体だった。「私」と一体化していた。私の身体が神様の物であり続けたと感じた。この感覚は子供の時以来なかった。麻酔から起きた時に手術のことを全く忘れていた。「なぜ戻されるのか、戻してよ!」と怒っていた。その後は痛みを感じて、痙攣し始めた。あまりにあの世とこの世は違っていた。赤ちゃんが生まれる時、幸せなところから来てこんなショックをうけるのだろう。

この身体は誰のものなのか。目を開けると星が見える。こんな近くに星が見えるなんてすこし怖い。私の身体が宇宙に浮いている小惑星だったら、手術でとられたものを細かく調べて、地球はどうやって生まれたのか分かるだろう。

夜が来ると、私の身体が一番欲しがっている自然の光がない。身体が熱い、この熱さは地球が出来た時と同じマグマのような熱さだ。神経が爆発した痛み。急にとても寒くなる。叫ぶ。お母さん、あなたから生まれたこの身体は苦しすぎる。お母さん、帰りたい、あなたのお腹に。夢の中に母の胎内に戻る。そこは木がある。命の木だ。

母が今はルーマニアの北部にある聖人パラスケヴァのところにいる。聖パラスケヴァの遺骸は三百年前から腐らない。科学と同じ、三百年前から。母は私のためにお祈りしに行った。母は教会の前から電話した。母の声が綺麗。マリア様は聖なる母だとはじめて分かった。

こうやって病院では信じることを学び始めた。これも子供の時からの懐かしい感覚だった。その後の何日間、母が電話でマリア様の祈りを読んでくれたのが、効かない痛め止めより効いた気がする。母の声とマリア様のお祈りで毎日少しずつ光を感じるようになった。この光を浴びて、身体が奇跡のように復活し始めた。私には信じることが必要だった。

(「図書」2015年5月号)