満月と水牛または「二月のひかり」

北村周一

満月は気づかぬうちに欠けはじめ
消えてなくなれカキクケコロナ

コンペイトウいろはの坂を転げ落ち
五輪音頭に嵌まりたるらし

ガマン強い民族にしてひといきに
のみ込まれゆくカーニヴァルへと

代名詞そ、そ、そ、そ、それに守られて
それでもソーリ、ソーリと呼ばれ

殊更に日本モデルをいうひとの
薄らわらいをテレヴィは映す

一ミリでもマシなほうへと冷笑の
時代を生くる冷めたる笑みは

未使用の棺桶二つ軽トラの
荷台にありて運転手居らず

その家も草木もなべて根こそぎに
地主守屋家跡形もなし

年始め通りすがりの老いびとに
それはりっぱな大根貰う

指のツメ剥がしながらに現代の
ピアノ曲弾くおとこの受難

脳いまだわれを語らずエラテル・ア二ミ
カント読む日のこころの弾み

切り通し油画に描かれし霜月の
代々木坂上大正四年

朝日から毎日にかえてそののちに
東京を経てアカハタとする

陽性者増やしたくない思惑が
民を突き上ぐヒノマルを振れ

あんないにお知らせまでと記し置く
コロナ配慮の個展切なし

ゆうぐれは星の数ほどあらんことも
みちみちに月は口説きおるなり

であいとはときのほころびいま一度
ふれ合うために閉ざす眼差し

描くより見るよりふかくわが胸の
うちにひろがる二月のひかり