病むときは病む

北村周一

文豪谷崎潤一郎が、パニック障害に苦しんでいたことは、比較的よく知られた事実かと思われる。
ネットを検索すると、何人かの精神科医が、谷崎の書いた小説に触れながら、この神経不安の一症例について言及している。
谷崎は、20代の若いころからすでにパニック症を患っていたらしく、初期の短編には、みずからの体験がそっくりそのままに描かれてもいる。
たとえば、1912年(大正元年)出版の「悪魔」、つづいて1913年(大正2年)に新聞に掲載された、その名も「恐怖」。(谷崎は1886年の生まれ)
いずれも短い小説ではあるけれど、内容が内容だけに、真に迫るものがある。
青空文庫の助けを借りて、ちょっとだけ紹介したいと思う。

・・・汽車へ乗り込むや否や、ピーと汽笛が鳴って車輪ががたん、がたんと動き出すか出さないうちに、私の体中に瀰漫して居る血管の脈搏は、さながら強烈なアルコールの刺戟を受けた時の如く、一挙に脳天へ向って奔騰し始め、冷汗がだくだくと肌に湧いて、手足が悪寒に襲われたように顫えて来る。若し其の時に何等か応急の手あてを施さなければ、血が、体中の総ての血が、悉く頸から上の狭い堅い圓い部分―――脳髄へ充満して来て、無理に息を吹き込んだ風船玉のように、いつ何時頭蓋骨が破裂しないとも限らない。そうなっても、汽車は一向平気で、素晴らしい活力を以て、鉄路の上を真ッしぐらに走って行く。・・・(「恐怖」より/青空文庫)

ふうっ、何度読んでも息苦しくなるような、じつに恐ろしい光景である。
とはいっても、このやまいの経験のない人にとっては、汽車や電車のいったいどこがそんなに怖いのかと、ふしぎに思うことだろう。
乗り物に乗ることは、本来楽しいことのはずなのだから。
厚労省の見解では、一生の間にパニック症を発する割合は、100人に1人か2人くらいといわれている。
治癒する人もいれば、10年以上のお付き合いの人もいる。
谷崎は、中年になってからは、発症しなかったらしい。

谷崎は鉄道病と名付けしがパニック障害病むときは病む