ボロブドゥール(晩年通信 その7)

室謙二

 インドネシアのジャバ島に、仏教ピラミッドがあると知ったのは、いつのことだったか?還暦のときに、洞窟に描かれた壁画を見に中国の敦煌まで行った。七十歳のときは、ボロブドゥールに行こうということになった。
 Nancyがオーストラリアで仕事がある。私は東京で人に会わないといけない。ずいぶん長い間いっしょに旅行していないね。どこかで休暇をすごそう。
 太平洋を中心とした世界地図をひろげて、カリフォルニアとオーストラリアと東京の三角形を見ていると、ジャワ島があった。ジャワ島の東の端にはバリ島もある。妻はジャワ島には興味を示さなかったが、「バリ島」と聞くと急に元気になった。だけどジャワ島のボロブドゥールもいいなあ。と言ったら、それはなに?
 もっとも私だって、ボロブドゥールのことなんかよく知らない。でも分かったふうなことを言う。仏教ピラミッドなんだよ。ジャワ島はもともとインドのヒンドゥー文化でしょ、そこに西からイスラム教がやってきて、いまでは人びとはモスレムになっている。だけどジャワ島の東の端のバリには、インド文化がのこった。インド仏教とヒンドゥー教にイスラム教が重なって、もとからある土着の信仰もあるし、多層文化らしいよ。
 ボロブドゥールは、仏教の時代が作ったピラミッド遺跡なんだ。仏教と聞いて、彼女はいよいよ興味を持った。十年前に敦煌に行ったでしょ。あれは仏教の影響の西北のはじで、バリ島は仏教文化の南東のはじだね。と地図を見せた。
 私たちはカリフォルニアからインドネシアまで飛んで、ジャワ島とバリ島で休暇をすごす。それから私は北に東京に飛ぶ。Nancyは南にオーストラリアに行く。とすぐに決まった。

  ピラミッドのストゥーパ

 ボロブドゥールは一片が一一五メールの四角の基盤の上に、九層の石階段ピラミッドがのっている。世界最大級の仏塔(ストゥーパ)である。エジプトの大ピラミッドの基盤の一片は二三〇メールだそうだから、ピラミッドとしては大きくない。高さは三十メールと以上あり、もともとは四十メール以上あったらしい。石の積み重ねの回廊を上がったり降りたりするのは、そうとうに怖い。石の一段一段は普通の階段よりずっと大きい。うっかりすると、落ちて頭を打って死ぬかもしれないぞ。
 回廊には天人やら鳥や獣、植物文様が描かれている。九世紀には完成したらしいが、その後、大乗仏教の後退とともに森林の中に埋もれてしまった。発見されて発掘が始まったのは一九世紀であった。インドネシアはいまはイスラム文化圏で、仏教徒はほとんどいない。だからボロブドゥールは、インドネシアにとっては現在の宗教寺院ではなくて、過去の遺産、観光地である。 
 それをわざわざカリフォルニアから見に来たのは、世界唯一の特別なものだと思ったからだった。仏教ピラミッドである。ピラミッドが仏塔になっている。
 ピラミッドは有名な北アフリカのものだけでなく、メキシコから中南米にある。メキシコのは一九七〇年代に見に行った。インドにも南ヨーロッパにも、北アメリカにもある。世界各地にある。ピラミッドの形は、どこかにオリジナルがありそれが世界に広がったのではなくて、どうやら人間の持つ、天に向かう空間認識の基礎的な形らしい。北アフリカのピラミッド、メキシコのピラミッド、それにジャワ島のピラミッドは、なんの関係もない。それぞれが独立して作られた。
 そしてこのピラミッドには、仏教がやってきた西の世界、またインドを通り過ぎた西、ギリシャにいたるまでのモノとか人が刻まれている。敦煌の壁画には天使が描かれていて、これはギリシャの影響だろうが、ボロブドゥールでさがしたら、やっぱり翼をもつ天使がいました。これもギリシャの影響だろう。それにアジア人ではない、長い髭をはやした背の高いヨーロッパ人がいる。
 人びとはこの仏塔で、どのような宗教的な儀式をして、どのような宗教的な感情を持ったのだろうか。インドからここまでやってきた仏教は、いま東南アジアにある上座部仏教ではなくて大乗仏教であった。観光客の私たちは、日が昇るときと日が落ちるときの両方を、ボロブドールの頂上から見ていた。そして他の白人観光客とちがって、私はポケットに入れていた般若心経と観世音菩薩普門品をとりだし、唱えたのである。
 ピラミッドに刻まれている人とかイメージを見ると、これは多層的な多様的な仏教であったことが分かる。西はヨーロッパからインドから東南アジアの、さまざまな要素が結びついている。日本のいまの葬式仏教からは遠く離れている。この多様性・多層性はバリ島に行っても同じである。

 バリ島で料理をする

 私はバリ島で観光客だったので、それらしいことを探して、ホテルでバリ料理のクラスがあることを見つけた。バリ料理といっても特別なものではない。中国料理、インド料理も少し、東南アジア料理がまざっている。蒸したもち米、野菜炒めに焼きそば、赤い唐辛子、豆腐の厚揚げ、それにサティ。ピーナッツ・ソースを付けて串揚げ。バナナの皮で包んで料理する鶏肉。エビも焼き魚もあり。それらをセンセイに教わりつつ作ってから、Nancyと私とセンセイで食べた。おいしい。それに暑い田んぼを歩いていたら、ヤシの実がころがっている。それを見ていたら少年がやってきて、ヤシの実の汁をのみたいか?
 飲みたいと言ったら、するするとヤシの木に登って、実を落としてくれた。ナイフで一部を削って、中にストリーを入れて汁を飲みます。あとで汗が、ヤシ臭くなる。それは知っている。
 
 観光客なので、バリ島の踊りも見て、ガムラン音楽も聞きに行きます。独特の音階だね。床においた大きな鐘を叩いてメロディーが作られ、太鼓が低い音程でリズムをきざむ。ヨーロッパ音階をもとにした音楽とは、まったく違う。
 女の人はお尻を突き出した独特な格好で踊る。最後に恐ろしげな男、神の一人なのだろう、がでてきて踊りまくって、焚き火の上に立って裸足の足で、火を踏み潰して消してしまった。驚いた。この男は、すでにこの世からあの世に行ってしまっているので、ヤケドもしないし痛くもない。のだろうか?
 バリ島には仏教の寺がたくさんある。その一つの門を入ったら、老人が出てきて、ここは私の家です。とカトコトの英語でいった。スミマセン、お寺だと思ったので、と言ったら、私の家のお寺です。個人の敷地の中に小さな寺がある。それでその老人といっしょに寺をお参りした。ブッダとヒンドゥーの神々が祀ってあった。
 ここは、モーターサイクルの世界でもある。二人乗りはもちろん、三人乗り、こどもを二人載せた夫婦の四人乗りもあり、通りをぶんぶん走っている。市場は楽しい。果物を買って食べる。カリフォルニアへのお土産は、バティーク(紅型)だな。バティークを作っているところまで出かけて買いました。
 二十代後半からはじめて七十歳まで、世界各地のいろんなこところ旅行したが、もう一度行きたいとしたらどこか?
 バリ島です。