別腸日記(10)冬の客(前編)

新井卓

北へ向かう衝動は、なぜ、いつも突然にひらめき胸を締めつけるのか。冬の旅には、そくそくと迫る寂しさと仄白い希望のようなもの、それらがないまぜになった静謐な感情がある。

今年も、遠野に冬が来た。寒波の到来は例年よりも早く、まだ十一月というのに、土淵や附馬牛など、すこし上がったところの村々は一面の雪景色となった。

この時期、心待ちにしていた酒が、酒屋やスーパーの冷蔵庫に並びはじめる。酔仙酒造の「雪っこ」は、酵母が生きたまま封入された濁り酒で、気温が高い時分は発酵が進んで破裂するおそれがあるため、晩秋から翌春までの期間に限って出回る季節限定の酒である。

二〇一〇年ころ初めて旅してから、山深い自然と人々の心のあたたかさにすっかり魅了され、何十回となく遠野に通ってきた。宿に困っていると、いつもにこやかに家に迎えてくださる藤井家を訪れるとき、冬ならばいつも、この「雪っこ」の一升瓶を提げていくことにしている。藤井さんの家は遠野からすこし南東の、気仙郡住田町にある。いつ、どうして「雪っこ」を手土産にするようになったのか忘れてしまったけれど(たぶん自分で飲みたかっただけだろう)、緑色のさっぱりした瓶を差し上げたときの、奥さんの満面の笑顔は、どうやらこの酒が一家にとって特別な存在であることを物語っていた。

藤井家の広々とした客間、あるいは数年前に農機具置き場を改装してしつらえた宿泊所に荷物を下ろしてほっと一息つくと、もう夕餉の支度が調っている。藤井さん夫婦と息子さん夫婦、孫のルイ君(八歳くらいの頃はよくコタツの中で裸になっていたが、最近はすっかり立派な中学生になった)、そしておばあちゃんとの食卓はとても楽しい。おばあちゃんは気仙語を話す。遠野言葉に少し慣れてきた耳でも、南部と伊達の違いなのか、山あいと海辺の隔たりなのか、その言葉を聞き分けることはたいへん難しい。なぜかわたしのことを「先生」と呼ぶのは、いつか農繁期によく来ていた大学の先生と間違えているらしいことが後で判明したが、まあいいか、と思い先生のふりで通すことにした。それに当時はアルバイトで大学の非常勤講師もやっていたから、とりあえず身分詐称にはなるまい。

「雪っこ」は、おばあちゃんの好物でもあった。──「雪っこ」さ、まづ、先生に。しづかに、飲んでください。

わたしはこの、しづか(静か)に、という言葉がとても好きだ。気仙語なのかどうかは確かめていないが、しづかに、という確かめるように一端沈み込む語と、ぐい飲みに首をかがめ黙して酒をすする感じが、いかにもぴったりしているし、何か儀礼的な所作の趣さえ出てくるではないか。そして、細かいことだが「まづ」は絶対に「づ」であり「ず」ではないのである。
(つづく)