団地ラボラトリー

イリナ・グリゴレ

小学生のころ、ソビエト連邦のドキュメンタリーで見たシーンを何度も再現しようとしていた。映画の中では特別の能力を持っている子供がソビエトのラボラトリーで観察されていた。科学者のチームが寝ているとき身体は浮かぶという現象がみられるため脳の電波などを詳しく調べていた。人の能力と可能性、脳の中の使っていない部分についての話だったが、当時の私はあのラボラトリーのイメージをみた瞬間とても懐かしく思った。なぜか、私もあの子と共感して、住んでいたコンクリートの団地がラボラトリーそのものだと思い始めたから。

あの夜から毎晩のように寝る前に身体が浮かぶ練習をし始めた。まずは目を閉じてベッドで横になる。家族が寝付いたあとの静かな時間だったから、自分の心臓の音がはっきり聞こえる。20代の時大手術を2回したあとでいうならば、全身麻酔から覚めて起きるとき聞こえる音は、機械につながっている自分の心臓の音そのものなのだ。この音は自然だ。生きるというサインなのだ。でも、あのとき身体はとても重くて、全然浮かばないのだった。

身体が動かない、無のような状態。そして、最初は手が上に勝手にゆっくり、ゆっくり上がり始める。自分は意識しているが、自分で動かしていないという状態だ。戻そうとしても戻らない。上のほうに誰か透明人間がいて、引っ張っている。心臓の音はものすごく大きく聞こえる。瀬戸内海の豊島にあるボルタンスキーの「心臓のアーカイブ」という美術館を訪ねた時、あの時の感覚を思い出した。私の心臓が聞こえるだけではなく、誰の心臓なのかよくわからないが誰かの心臓が聞こえる。次はもう片方の手が上に上がろうとしている。

自分の身体と周りのものとの距離がない状態だ。浮かぶ感覚が少し把握できて楽しくてしかたがなかった。宇宙飛行士の感覚を味わっているようだった。ベッドに横になったまま足だけ浮かぶ状態は、身体のパーツがバラバラになったようだった。皮膚でつながっているけれど、バラバラに浮かび始める。足の筋肉がピリピリするような感覚があるると、足の片方が上にゆっくり上がり始める。普通ならすごく不自然な状態なのに、腕と足は上に浮かんでいる。でも私にとって苦痛ではなく、逆にこうやってバラバラに感じる身体は自由になった気がした。時間はどのぐらいたったのか、どこにいるのかわからなくなる。暗い中、見えるのは自分の肌だけだったが、透明になり始めたと感じた。

さまざまな想像しはじめる。寒いのでラボラトリーのテーブルの上で私は大きなカエルになった。意識を戻すと、片方の足しか浮かんでなかったのが、もう片方も浮かび始める。ゆっくりと。今度は自分の胸に重さを感じる。足と腕を上に刺したまま、胴体だけベッドの上に残っている。ここから何時間かの作業が始まる。腕と足は違う世界に入ったまだ。胴体は胸のあたりが重くて全然浮かばない。何度試してみても0.1ミリも動かない。結局、諦めて寝る。悔しい。

昼の間はクシシュトフ・キェシロフスキの『デカローグ』にも出ている元社会主義共和国の地方都市の雰囲気を生きる。人と人はすれ違うが、お互いのドラマを知らないまま、すれ違う身体同士は同じ空間を生きている。夜になると私は自分だけの小さなラボラトリーに戻る。しかし、毎晩同じことが起きる。胴体は全然浮かばない。

高校に上がるまで、あきらめずにこの「研究」を続けたが、ある日、答えが見つかった。その日、モンシロチョウが私の腕に止まっていた。晴れた秋の日に団地から解放されて、祖父母の庭に座って遊んでいたとき、弱って飛ぶことのできない蝶が私の腕に止まった。初めて蝶を触る感覚だったのでびっくりして、私の腕の上を歩く蝶を何時間も観察した。蝶は私の手のひらで死んだ。その時、私の身体が浮かばない理由が分かった。人間の心臓が重いからだ。蝶や虫のように軽くなれないのだ。閉じ込められた空間で浮かぶことができない。人間が周りの背景を見る目と視線は限られている。違う側面と虫メガネを通したように世界を見ればいい、とその時に思った。ジョン・ミューアがいうとおり、自然を身体全身で見ることができる、目だけではなく。あの団地に閉じ込められたからだと分かった。結局のところ、社会主義という実験では、人間は自然の一部だと扱われてはいなかった。

思い返すと、あの団地で自分の脳の可能性をもっと訓練すれば、私もグリゴリー・ペレルマンのように天才数学者になれたかもしれない。数学が得意な父はお酒を飲みながら、一生懸命に数学を教えてくれたが、私の脳の可能性はそこにはなかった。詩を読むことが好きだったのだ。世界を表現する方法は一つだけとは限らないと思って、浮かぶ実験をやめた。

「現在、サンクトペテルブルク(Saint Petersburg)の労働者階級向け高層マンションで、慎重に報道陣を避けつつ母親と暮らしているペレルマン氏は、自分たちソビエト連邦時代の学生は、非常に幼い時から抽象的な言葉で考える方法を学ぶことによって、優れた能力を開発した、と語った。「赤ん坊は、生まれた直後から経験を積み始める。腕や足を鍛えられるなら、頭脳だって鍛えられないわけがない」

ペレルマン氏は、小学校のクラスで「解けない問題」に出会ったことはなかったそうだ。ところがあるとき、聖書の中の逸話でキリストが水の上を歩くことが出来たのはなぜかと問われ、答えに窮したという。「沈まずに水の上を徒歩で渡るためには、どの程度の速度で歩かなければならないか、解決しなくてはならなくなったんだ」

https://www.afpbb.com/articles/-/2797490