別腸日記(1)口切り

新井卓

よい酒は水のように流れて記憶の砂地に消え、いつまでも宿酔いのごとく思い出に居座るのは、悪い酒ばかりである。

自分が思いのほか飲めることに気づいたのは十八のときで、浪人生として鬱々と過ごした冬の日だった。当時アルチュール・ランボーや中原中也などの悪い詩人たちに傾倒していたわたしは、映画館から帰る途中の酒屋で一番安いパック酒を一升、どうにかして買ってきてベッドに忍ばせた。

本当は、火鉢にあたりつつ股座に一升瓶を挟み「人肌燗」という中也の真似をしてみたかったのだが、火鉢はなかったのでベッドの中で抱いて、本でも読みながら温めることにした。抱卵するペンギンの気分で待つこと数時間、深夜を待ってパック酒の口を切った。

コップに注ぐと、人肌にぬるんだ液体から人造アルコールのむっとする刺激が匂いたち、口に含むといつまでも纏いつくような甘さが舌に残った。ところが、一杯、二杯とアテもなくただ飲みすすめても、いつまでも一向に酔う気配がない。そうしているうちに一升、ついに飲みきってしまってから、そら恐ろしい心持ちになった。

その後も頻繁に料理用ワインや「ホワイトホース」などの低級な酒を買い込んでは試し飲み、ベッドの下にはさまざまな形の空瓶が蓄えられていった。ブコウスキーの『詩人と女たち』を読むときはカティ・サークを舐め(これは少々奮発しなければならなかった)、金子光晴の『ねむれ巴里』では赤ワインを空けて、光晴がいうように本当にウンコが黒くなるのかどうか、確かめた。

やがて酩酊とはどんな気分か理解するようにもなったが、その「境地」に至るまでに、かなりの分量のアルコールが必要ということも分かった。それは、わたしに四分の一流れる奄美の血のせいなのか、よくわからなかったが、とにかくそのように一人で通過儀礼を終えて以来、失敗の方が多い酒とのつきあいが始まった。