自由の地はどこにあるのか

西荻なな

次はどこへ行くべきか、ということが、しばしば周囲で話題になる。

それはちょっと旅に行ってこようと思うんだけど、いま旅するならばどこだろうか? という会話で始まることが多い。ひとり旅に慣れた女性たちは不思議と友人にいるもので、主要都市は一通りめぐってしまったから、次はメキシコだ、いやギリシャだ、はたまたインドのジャイプールだ…などと、未だ見ぬ地を探しての“辺境語り”になることが多いのだが、その先にはそれぞれに、日本を脱してさてどこに住むべきか、という未来への思考が続いている気がしてならない。

とりわけ東京近郊、特に東京の何の変哲もない土地に生まれ、上京という大きな引越し体験もが不足している者たちにとって、叶えるかどうかは別として、移住の地をあれこれ妄想してみることは、わりと現実的で切実な問題なのだ。もちろん、世界のどこへ行っても驚きの程度は昔ほどではないのかもしれない。まだ見ぬフロンティアを探すならば、何かをとことん突き詰めて、発見なり創作なりをするほうが、よっぽど意義深いことに思える。同じような風景、同じようなインフラが整備されている環境で育ち、着る服も、暮らしや仕事への価値観もどこか似通っていると、同世代ならば国境を超えて感じられることも多い。

でもそれでも、とりわけ同性の友人たちは“いまここ”ではないどこかを夢想し、緩やかな死に向かいつつある日本から抜け出そうと思っているような気がする。

旅、というよりも、次に住む地を探している旅の途上。それが期間限定で終わるのか、それとも現実のこととなるのかはわからない。でもその間、少なくとも思考は自由でいられる。

少し長期の休みをとって、オランダへ行ってきたのだが、それは今思う“自由”のイメージが、なんとはなしにオランダだったからだ。といってもLGBTに寛容、ドラッグも合法、といったわかりやすい自由の話ではなくて、グラフィックデザインを学びに再度留学した友人や、建築を勉強しに1年間滞在していた友人など、自由を謳歌する知り合いの顔が思い浮かんだからかもしれない。

そういえば、ベーシックインカムを実験的に導入しているような話も聞いたし、古い老舗の新聞社を退職して画期的なメディアを立ち上げた若きジャーナリストたちも、オランダの人たちだった。記憶の断片に、ディストピア的な未来をみすえて、なんだか新しい機運が生まれているような話が思い浮かんだ。

後付的に言えば、オランダ、イギリス、アメリカ、と世界の覇権国が移り変わってきて、もはや覇権国などなくなってしまった時代に突入した今、かつて栄華をきわめた国に行って、取り残された地で何が起きているのか、時間的な“辺境”を探ってみたかったのかもしれない。ここが世界の中心、という軸がゆらいでボーダレスになったかのように見えて、かえってカオス度が増したいまの世の中、降り立つとしたならば、それは時代的にも空間的にも取り残されたように見える、エアポケット的な場所なんじゃないか。そこにこそ自由の気風はあるんじゃないか。なんとなくの予感とともにアムステルダムの地を踏んで、帰ってきたいま、じわじわとその思いを強めている。

無機質で冷たいように見えて機能的で実はカラフル。駅舎や建物、家具のデザインを見て抱いた感想はそれに尽きるのだけれども、一見なんの変哲もなく見えて合理的、でもそれは暮らしの豊かさをむしろ捨てていない合理性なのでは、と感じ入ったのは、運河に集う人たちのあり方と、自転車に乗る風景そのものに現れているように思ったからだ。アムステルダムにしても、アムステルダムをもう一回り小さく牧歌的にしたユトレヒトにしても、街を貫く運河が街のリズムをつむいでいる。

運河の両脇には狭い国土を縦方向に利用したアパートが立ち並び、窓越しにのぞけば、人々の暮らしが見えるようだ。3フロアを機能的に使い分けているような風情、でも花や自転車が彩りを添えている。行く右手にアパートの変化を見ながら運河の脇をずんずん進んでいくと、街のゆるやかな表情の変化も感じられて、夕方にはミントティーやハイネケンを飲んで楽しそうにおしゃべりをする人たちが数多く外の時間を堪能している。誰もがスマホを手にすることなく、熱心におしゃべりに興じていて、日本では、とりわけ東京では忘れられた風景だと思った。お土産を探そうと思っても、オシャレな洋服を置いたお店があるわけでもなく、むしろ“coffee shop”が数多くみられて、通りすがりに煙草ではない香りが立ち込める。暮らしに重きがあるのか、雑貨や日用品を扱ったお店が数多くあるのは印象的で、外よりも内実を充実させるような趣さえある。

15世紀にはエラスムス、17世紀にはスピノザが生まれ、『方法序説』を書いたデカルトやジョン・ロック、ヴォルテールもが移住したり、あるいは亡命の地として一時を過ごしたオランダ。経済的な繁栄と軌を一にして、国の形の定まらないオランダはヨーロッパのエアポケットとして自由の気風を育んだ歴史があるのだと思う。それは今も形を変えて、逆にちょうど時代が一回転して、そこにあるのではないかと思えた。日がな一日、運河を前にぼーっとおしゃべりをしたり、本を読んだりする。これといって何もないけれども、シンプルでどこにいっても美味しいスープの味に歓喜しながら、ユトレヒトでしっかりアパートの値段をチェックして帰路に着いた。