万華鏡物語(4)流転

長谷部千彩

 七月後半、私はとある撮影に立ち会い、都内をロケバスで移動する日々を過ごした。そのうち一日は、千葉県外房までの遠出となった。コロナウィルス感染症発生以降、外出を控えるよう努めていた私にとって八ヶ月ぶりの東京脱出であった。
 機材を抱えたスタッフとともに切り立つ崖をのぼり、海を眺めると、その日は曇天。空と海を分かつはずの一線は、ぼんやりとかすんでいた。去年ブエノス・アイレスで見た海とも、一昨年に見たドブロブニクの海とも違う、水の色はノルマンディーの海を思い起こさせた。マスクをずらし、潮の香りを嗅ぐと、私は急にフランスが恋しくなり、旅立つことの叶わぬこの事態をひどく恨めしく思った。いつになれば私たちは、気まぐれに列車に乗ったり、飛行機に乗ったりできるのだろう。

 撮影の最終日、次の移動までの待ち時間、数名でテーブルを囲んで休憩していると、それまで寡黙だった撮影アシスタントが、思い切ったように口を開いた。アートディレクターと私の仕事について聞きたいと言う。彼女は美大の四年生。就職活動をしなくてはならないのにまだ何もしていない、気が重い、と伏し目でつぶやいた。

 アートディレクターの丁寧なアドヴァイスを彼女とともに聞きながら、私は彼の話が長引くことを願っていた。そうすれば時間切れになり、この質問から逃げられる。
 アートディレクターは、大きな事務所で働くこと、小さな事務所で働くこと、それぞれのメリットやデメリットを説明したあと、「基礎は大事だよ」と付け加えた。フォトグラファーも「うん、基礎は大事」と言った。私は思わず口走ってしまった。
「どうしよう、私、基礎の勉強していない、私の年だともう基礎の勉強は間に合わない・・・」
 冗談ではなかった。私は文章を書いてお金をもらっているけれど、文章の書き方を学んだことがない。アートディレクターとフォトグラファー、若くして活躍しているふたりは、学ぶべきときに学んだからこその信頼を得ているのだろう。私がいまだにぱっとしないのは、そこをスキップしているからかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。

 余計な発言をしたために、アートディレクターの話に区切りがつき、矛先は私に向かった。
「私は就職活動をしたことがないし、私の話はたぶん何の参考にもならないよ?」
 そう答えたけれど、彼女がそれでも聞きたいと言うので、どういう経緯でいまの仕事に至ったか、私はかいつまんで話し始めた。しかし、いくら、端折って、と心がけても、話がずるずると伸びていく。アートディレクターのようにすっきりと整った話にならないのだ。あのときこういうきっかけがあって。あのときこういうひとと出会って。あのときこういう誘いがあって。話しながら、再確認させられる。私には目指すものもなく、積み重ねたものもなく、選択はいつも行き当たりばったりだった、と。

 就職活動をしなかったのは、深い考えがあってのことではない。私が採用されるわけがないと思っていたのだ。採用されるわけがないのに応募するなんて無駄。惨めな思いをするだけ。恋愛にしても仕事にしても、誰かひとりの代えがたい存在にはなれるかもしれないけれど、自分が大勢のひとの中から選び取ってもらえるような人間だとは、どうしても思えなかった。

 だけど、それだけだっただろうか。これから社会に出て行こうとしている女の子(私には二十二歳の彼女が女の子に見えた)との会話は、私が二十代の頃に胸に描いていたもうひとつのことを思い出させた。
 私はあの頃、“流転する人生”を送りたい、そう考えていた。先のことなんて決めずに、川に浮かぶ一枚の葉のように、右に左に流れていく。時には岩にぶつかり方向を変え、時には小枝の溜まりに留まり、時にはくるくるとその場で回る。どこに向かうのかわからないって楽しいな、そんな風に生きて行けたら、と夢想していた。
「心の中に縦軸を持っているひとが苦手」と言っていた時期もある。名声を博するとか、力を持つとか、裕福になるとか、得ることを目指し、登っていくイメージを持って生きるひとに、私は魅力を感じることができなかった。
 もしかしたら、そんな生き方には、私の与り知らぬ充足感が用意されているのかもしれない。得ることで、より自由になれるのかもしれない。でも、私の目には、そういったものよりも、風に引きずれられアスファルトを転がり駆けるイチョウの黄葉のほうが美しく映ったのである。

 彼女の母親ほどの年齢になった私が、いま振り返るならば、概ね願った通りの暮らしが送れたと思う。その結果、いつもというわけではないにせよ、そこそこ楽しく過ごしてきたとも思う。それで乗り切れたのは、人生の前半、日本の経済がいまほど停滞していなかったからかもしれない。2020年を生きる若いひとたちにとって、現実はもっと厳しいものかもしれない。
 私の話はたぶん何の参考にもならない。私が彼女に示せることは、「就職活動をしなくても、なんとか生きている大人がここにひとりいる」ということだけだ。だから、就職活動の末、良い結果が得られれば、彼女にとって私は無関係な存在で終わるだろう。ただ、もしも良い結果が得られなかったときは、私のことを思い出してくれるといいな、と思う。

 就職活動をしなくても、なんとか生きている大人がここにひとりいるよ。
 就職活動をしなくても、なんとか楽しく生きてきた大人がここにひとりいるよ。