万華鏡物語(11)五月

長谷部千彩

 東京の一番美しい季節は五月だと思う。そう考えた端から、もうひとりの自分が打ち消す。いやいや、東京の秋、十一月も綺麗でしょう?からりと晴れた日が続く一月だって良いでしょう?街が雨に煙る六月。陽の光が軽さを増していく早春。自然が少ない東京は、環境が悪いものと思われがち。けれど、実際は、酷暑を除けば、どの季節もそれぞれの魅力がある。
 とはいえ、やはりいまの時期は最高だ。部屋の窓を開け、空を見上げているだけでも幸せな気分を味わえる。それは、私がベランダ園芸を趣味としていることも関係しているだろう。
 二月の沈丁花の開花から、次々と寄せる波のように、さまざまな花が咲き出す。椿、桜、ツツジ、ジャスミン、薔薇、クチナシ・・・・・・春の祭が一息つく五月後半、今度は梅雨前に済ませなければならない夏への準備で園芸家たちは俄然忙しくなる。
 朝顔、ポーチュラカ、ナスタチウム、ひまわり、私のベランダを彩る定番の花。それに加え、今年は、野菜も少し増やそうと、ミニトマトの苗を取り寄せ、ピーマンの種を蒔いた。
 実を言うと、私自身、それほど家庭菜園に興味はない。楽しみは花を咲かせること。ゴーヤとシシトウを毎年育てているのも、それらの清楚な花が好きだからだ。よって収穫物は、ほとんどひとにあげてしまう。自分の口に入れるのは、ほんの少し。なのに、野菜の種類を増やすのは、小学生の姪が喜ぶだろうなあ――そう思うから。
 昨年は、夏休みの間、姪が私の部屋に泊まりに来ていて、毎朝、ベランダに出ては、成ったブルーベリーの実を数え、一喜一憂していた。少ない日には肥料を与え、明日は実が増えているかも、と眠る様子を見る限り、手脚が長く伸びた都会っ子の彼女も、まだまだ子ども。あどけない。
 そういえば、去年は、ベランダの植物が驚くほどよく育った。花という花が、いままでになくたくさんの蕾をつけたし、ハーブも繁った。そのことを園芸仲間に話すと、彼女の庭でも同様だという。「コロナウィルスに植物に有効な栄養成分が含まれていて、それが風に乗って流れてきたとか」などと不謹慎な冗談を言って笑い合ったが、外出自粛の呼びかけによって、街を走る自動車が減り、それによって大気汚染が改善されたという話は耳にしたことがある。何の因果もないかもしれないが、何か因果があるかもしれない。
 ともあれ、疫病禍の暮らしも一年を過ぎ、怯えることも随分と減った。慣れたとも言える。受け入れたとも言える。ワクチン接種は始まったものの、どうなるのかしらね、としか言えない、相変わらずの日々。ただ、まどろみの心で待っている。好きに歩ける、好きに会える、その日が来るのを。私は空白を埋めるように、花を眺め、花を育てる。それなりに慌ただしい、東京の美しい五月。