アジアのごはん(104)京の味「にしんなす」

森下ヒバリ

35℃を超える日がこうも続くと、さすがに参ってくる。暑すぎて散歩にも行けない。困ったもんだな〜と思っていたら高知の友人が畑の野菜を送って来てくれた。ピーマン、ししとう、ゴーヤ、かぼちゃ、つるむらさきの花、そしてなす。

8月初旬に、久しぶりに仕事で北海道にでかけた相方が、おみやげに鰊の甘煮を買って来た。旅行キャンペーンでもらったクーポンが余ったので札幌駅で買ったらしい。
「お、小樽のにしん・・?」ラベルを見るとアメリカ産・・なるほどアラスカ産のにしんを北海道で加工したものである。

京都人はにしんを甘辛く煮つけたものが大好きで、スーパーでもふつうにパック入りのにしんの甘煮(こちらも、アメリカ産で富山加工)を売っており、便利なのだが、たいがい死ぬほど甘い味付けである。京都人の相方は「そお?」とまんざらでない様子だが。なんせ、相方の育った家の煮物は、お菓子かと思うぐらい甘い。甘いおかずの苦手なヒバリは一口も食べられません。

京都のおばんざい(惣菜)屋の煮物もかなり甘いのが多いので、惣菜は気安く買えないのがかなしい。コロナ禍で家で作って食べることがほとんどになり、少しは手抜きもしたいというのに。出し巻は甘くないのにねえ。

小樽の・・じゃなかった北海道加工アラスカ産にしんの甘煮は、味を見てみると京都で売っている甘煮よりはずっと甘さ控えめではあった。よしよし、と水に昆布を入れて出しを取り醤油で味付けしてなすと一緒に煮直すとおいしく食べられた。ちなみに京都のスーパーで売っているパック入りのものは薄めて煮直しても甘すぎて困る。

送られてきたつやつやした紫色のなすを見ていると、また「にしんなす」を食べたくなってきた。夕方になって少し暑さが和らいだころに、少し遠いスーパーマーケットに買い物に行く。そのスーパーには常時ソフトにしんが置いてあるのだ。アメリカ産のものしかないが、まあいいだろう。

日本では、江戸時代は富山湾や秋田で、明治末から昭和20年代ごろまでは小樽から稚内までの北海道沿岸で大量のにしんが獲れていた。当時の小樽にはにしん網元の「鰊御殿」と呼ばれる豪邸が立ち並んだという。しかし、海水温の上昇と乱獲により、にしんの水揚げは激減し、漁場はもっと北のカムチャッカ半島やアラスカ沿岸に移って行ったのである。日本ではロシア産やアメリカ・アラスカ産が輸入されて製品化されることになる。ああ、さんまもこの道を歩むのだろうか。

にしんは脂が多く痛みやすいので、干物にして流通されることが多かった。天日でからからになるまで干したものを身欠きにしんといい、これは戻すのに2日はかかり、さらに三時間ぐらいは炊かないとやわらかくならない。最近は生干し程度の水分量のものが、ソフトにしんとして売られていて、戻す手間がなくすぐ煮えるので、大変便利。

海の遠い京都では、古くから北前船で運ばれてきた身欠きにしんを使って甘辛く炊いたにしんが食べられてきた。京都の有名な名物料理に「にしんそば」というものがあるが、おそらく修学旅行生が食べてがっかりする京都の味ナンバーワンではないかと思われる。

そばの上ににしんの甘煮がど〜んと乗った、にしんそばをヒバリも京都の学生時代に食べてみたことがある。「う〜ん・・」なぜ、やたらに甘い煮魚をそばにのせて食べなくてはならないのか。理解できず、その後食べることはなかったが、これはまあ、ある程度大人にならないと分からない味なのか・・も。いや、やっぱり甘すぎただけか。

それ以来、にしんの煮物とは距離を置いていたのであるが、ふたたび京都に暮らすようになって、にしんとなすを炊き合わせた「にしんなす」を京都人の相方が食べたいという。仕方なく作ってみると、意外においしいではないか。いまではヒバリもすっかりお気に入りである。自分で作ると好みの甘さ、しょっぱさに出来るのがいい。そして、にしんは、そばに乗せるよりもなすと炊き合わせるのが一番おいしいと思う。

京都のおばんざい「にしんなす」は、ソフトにしんを使えば簡単に作れる。ソフトにしんは食べやすい大きさに切り、熱湯を回しかけておく。昆布でだしを取り、醤油とみりんでやや濃いめに味付けしただし汁ににしんとなすを入れて10〜15分煮る。なすは半分に切って斜めに包丁で細かく切り込みを入れて、さらにもう半分に切っておくと味がよくしみて見た目も美しい。生姜の薄切り、山椒のみりん漬や醤油漬けなどを好みで入れるとよい。うちは両方入れます。

一晩冷蔵庫で寝かせると味がしみておいしい。微かなにしん独特のくさみと、なすの香りが合わさって、なんともいえない鄙びた味わい。お酒のつまみにもご飯のお供にもいい。・・なんだか夏の終わりの匂いがする。

北ヨーロッパでは、大西洋や北極海に住むアトランティック・へリングというにしんをよく食べる。もっぱら酢漬けにしたり、スモークにしたり、塩漬けで軽く発酵させたりして食べるという。こちらも酒のつまみに大変よろしそうである。

生のにしんが手に入る北海道などでは切り込み、といって切り身に塩をして麹で漬けるものなどがあるようだが、まだ食べたことはない。にしんの世界は思ったより広そうだ。そろそろ「にしんなす」以外のにしん料理も試してみようかな。

京都のど真ん中で生まれ育った相方に、「にしんなす」以外のにしん料理って京都で何かある? と尋ねたらしばらく考えて、「にしんなすしか食べたことない・・」とのお答え。伝統というか、保守というか、頑なというか・・まあ、おいしいからいいケドね。