メキシコ便り(9)

金野広美

メキシコ・シティーの3月、4月は街中に薄紫色のハカランダがあふれます。ちょうど日本の桜のようです。ただ桜は1週間ほどではかなく、美しく散ってしまいますが、ハカランダはその名に反して?2ヶ月くらいは咲いています。落ち方も桜のように舞うのではなく、大粒の涙が落ちるように、ポトリポトリと散っていきます。花の形はちょうど小さな釣鐘のようです。しかし、散ったあとの木の下は、さながら紫のじゅうたんを敷き詰めたように、とてもきれいです。この木を見ながら私は日本の春を懐かしく思い出していました。でも誰もこのじゅうたんの上でお弁当をひろげることはしないので、やはりここは日本ではありませんでした。

メキシコの気候は乾季と雨季の2期で、はっきりとした春夏秋冬はないのですが、メキシコ・シティーの朝晩は、1月、2月はオーバーがいるくらい冷えます。でもそれも3月、4月になるとずいぶんとやわらぎ、コンサートやダンスなどのイベントが増えてきます。

先日とてもおもしろい演出のバレエを見ました。演目はチャイコフスキーの「白鳥の湖」で場所はチャプルテペック公園の中にある湖でした。この公園はとても広く、お城や、美術館や、博物館、動物園、植物園などがあり、週末は家族連れでにぎわうところですが、湖が3つあり、その中のひとつを使っていました。湖に張り出すように2か所の舞台をつくり、一方は宮殿、一方は湖岸の大きな木をそのまま利用して、森の中を表現していました。冒頭の音楽が流れ出すと、2羽の白鳥にスポットライトが当たりました。なんとその白鳥たちは優雅に湖を泳いでいるではありませんか。そう、それは本物の白鳥だったのです。そして宮殿の舞台がぱっと明るくなり、たくさんの貴族の扮装をしたバレリーナたちが、舞踏会で踊っています。湖岸では本物の馬にまたがった騎士が行きかいます。ちょっと度肝をぬかれたオープニングで始まった白鳥の湖でしたが、踊りは国立バレエ団のプリマ、イルマ・モラーレスをはじめとしたメンバーで、すばらしいものでした。特にイルマはその長く細い手足と、しなやかな体で、白鳥のオデット姫はどこまでも可憐に、黒鳥のオディール姫は妖しげな魅力を放ちながら優雅に踊りました。白鳥たちの群舞も時にユーモラスに、時に愛らしく、とても美しいものでした。夜空に星がまたたく中、ライトが効果的に使われ、悪魔の登場には花火が打ち上げられるというど派手な演出で、さながら、大スペクタクルを見ているようでした。日本では古典バレエは大抵、ホールのなかで催されますし、こんな大掛かりな舞台で見たのは始めてでしたので、ちょっとびっくりしながらも、楽しい舞台でした。

メキシコ・シティーでは毎日どこかで、イベントやコンサートが催されていますが、日本ではおおよそ人がはいりそうにない前衛的なパフォーマンスや美術展でも人は来ます。無料ともなるとめまいがしそうなほど、人であふれます。ここでは古典から前衛までさまざまな作品に触れる機会が安価で、すぐ手の届くところにあります。そして、どのように前衛的で実験的であってもそれを受け入れる土壌がここにはあります。無料の催しも多く、仮に有料でも値段がとても安いのです。たとえば先のバレエも前の席で150ペソ(日本円で約1500円)、先日行ったジャズコンサートなど、壁画で飾られたすばらしいホールであったのですが、学割で半額になるので、20ペソ(200円)です。そのあと行ったコンテンポラリーダンスは30ペソ(300円)、アフリカ映画祭の映画は15ペソ(150円)でした。普段でも映画は45ペソ(450円)、水曜日は日本のように女性だけでなく男性も半額で23ペソ(230円)です。メキシコに点在する多くの遺跡も一部を除いて学生と教師は無料です。博物館や美術館も70ペソ(700円)くらいから15ペソ(150円)くらいまでいろいろですが、これも学生と教師は無料や半額で、日曜日は一般の人でも無料です。そのためでしょうか、日曜日は多くの親子連れを美術館や博物館でみかけます。

先日もチャプルテペック城のなかにある国立歴史博物館に行ったのですが、父親が展示物の前で、熱心に子どもにメキシコの歴史を語っていました。メキシコの古代文明の歴史は紀元前13世紀、オルメカ文明から始まりますが、1519年、エルナン・コルテスひきいるスペイン軍の侵略、1810年、イダルゴ神父による独立運動、1910年から始まったメキシコ革命など、メキシコは激動の歴史をたどってきましたが、独立運動や革命のヒーローたちのレプリカの前で、子どもに熱心に話している父親の姿はほほえましくも頼もしく、子どもはうなずきながら父親の話しを一生懸命に聞いていました。きっとお父さんは物知りでえらいのだと尊敬していることでしょうね。日本では父親が日曜に博物館に子どもを連れて行き、日本の歴史を教えるなどという姿をあまり見たことがないので、このような光景を見るにつけ、メキシコと日本の家族のあり方の違いを感じると同時に、ひょっとするとメキシコは文化に関しては、日本より豊かな国なのではないかと思いました。というのは子どものころから親につれられ、色々な音楽や絵画、伝統にふれている子どもたちの中にはきっと広く、豊かな感性が育っているでしょうし、そんな子どもたちが将来、表現者になったり、批評眼をもった観客になっていくのではないかと思われるからです。地方には何千年も脈々と続く伝統文化があり、都会では数々のすばらしいホールや屋外施設のなかで、常に新しい試みがなされているメキシコ。新しいものと古いものが混ざり合いながら、ふところの深い豊かな文化がここメキシコでは根付いているのではないかと思いました。