夜、オレンジ色の入道雲

仲宗根浩

旧暦の八月八日、トーカチという行事がある。今年は九月の八日がその日にあたる。沖縄の米寿を祝う日。母親が今年数え八十八になる。こちらは親戚の範囲がかなり広い。お祝いをするにあたりこじんまりと食事会、ということになったが近しい親戚及び六人兄弟なので孫、ひ孫が揃うと七十名くらい。東京、神奈川、福岡、熊本からみなが揃ってのお祝いは連休に合わせてやることにし、八日は祖母の命日あたる日なのでこちらにいる者だけで実家に集まり、お祝いの打ち合わせがてら、実家で夕食をいっしょにとる。

そのお祝いで、沖縄でめでたい席に演奏する「かぎやで風節(かじゃでぃふう)」をうちの娘の唄と三線、箏は奥さんが弾くことになったため、十数年振りに箏の糸締めをする。琉球箏は緩く糸が張られる。緩く張る、というのが意外にてこずり、なんとか許せるくらいの柱並びができるまでになった。糸締めは済んだが実際、演奏となると箏をやっている人が近場にいない。まず楽譜をネットにあった論文から見つけ、調弦もこれまたネットで見つける。奥さんはYoutubeで県立芸大の演奏を見つけ、どんな奏法かを探る。山田流の奥さんは見たことない楽譜の記号がたくさんある。「かき手」とかいくつかは判明した。琉球筝曲の楽譜を購入すればなんとかなるのだが、これがけっこうな値段でたった一日、一曲のためにそこまでの出費、こっちは琉球古典筝曲の作法も知らない、ばったもんに近いので躊躇する。そんなときに娘の小学校時代のPTA関係で箏を習っていた人から楽譜を貸してもらえることになり、だいたいの奏法が判明したが全部その通りにはできないので適当にはしょって三線に最低合わせてできるようになる。箏だけをさらっているのを聴くと、聴きなれた手があちこちに出てくる。これが唄と三線が入ると箏の手が唄と三線の隙間にうまく入るようになっていて箏が表に出てくることがない。地唄に箏が入るようになり、どんどん器楽的になった流れとは違う流れで、唄が主のまま、洋楽器が入った沖縄民謡のなかでも続いている。

連休前、ふたりの姉が沖縄に先に来て、お祝い会場に打ち合わせに行きたい、というので連れていく。沖縄そばを食べたいというので、そば屋まで行く。そば屋のテレビでのニュース速報、裁判の結果が流れる。予想とおり、コピー&ペーストの判決。

九月、涼しい日は最初の二日間だけだった。日中はある程度暑さはやわらいだが、夕方から夜にかけて湿度が高くなり、気温は下がれど蒸し暑さは八月とは変わらない。夜、家までとぼとぼ歩いていると、見事なオレンジ色の入道雲。基地の照明にきれいに染まっている。