西瓜の日々 (My Watermelon Days)

管啓次郎

西瓜の建築の中に住めることがわかって
それは西瓜そのものなのだった。
装飾も家具もない。
むずかしいのはどうやって中に入るかで
表面に穴をあけると果汁がこぼれてしまう。
どうやって入ろうか、どうやって入ろうか
いろいろ考え、試みていると、それが起きる。
突然、中にいて、西瓜のジュースが
きみを世界から守っている。
生気にあふれ、甘く、赤く、力をくれる水だ。
西瓜の中ではハッピーバースデイを
歌うのが習慣になる。
Happy birthday, happy birthday
何度でも歌うたびごとにその歌は
亡くした誰かを悼む歌になる。
過ぎたものを。
西瓜の中ではいろいろなことを思い出す。
それは糖を加えられてもいないのに
甘いジュースのせいだ。
西瓜の果汁は動物と植物がひとつだった頃の
血液の名残。
西瓜の中ではきみの声はエコーし
自分が本当よりもずっと歌がうまいと思うのだが
誰も意地悪なことはいわない。
きみの歌のせいで西瓜が振動をはじめる。
すると他の西瓜たちも振動をはじめる。
これはすごくおもしろくてきみはZorbを
思い出すが、それはもしも軌道を逸れて
転がりはじめると非常に危険なのだった。
でも西瓜はきみをとことん
守ってくれるから心配しないで。
生涯の残りをずっと
西瓜の中で暮らすことになるかもしれないし。
「暗い山小屋に住むきみよ
きみにとって西瓜はいつも紫だ
きみの庭は風と月だ」
(ウォレス・スティーヴンズ)
「西瓜畑とそれを横切って流れる川が見える。
松の森にも西瓜畑にもたくさん橋がある」
(リチャード・ブローティガン)
こんなことをぼくは西瓜の中で
西瓜を使って、西瓜のために書いている。
これはなんと想像もできないくらい
さびしいことだろう。
それはトリエステ (Trieste)における
トリステッサ(Tristessa) くらい
さびしい (triste)
そんなぼくの西瓜の日々は
はじまったばかりです。
西瓜で乾杯しよう。
生命のために。