人、響きあう

若松恵子

秋も深まってきた日々、ボブ・ディランをカバーした2枚のアルバムをよく聴いている。

1枚目はブライアン・フェリーの『DYLANESQUE』(ディラネスク/2007年)。ディラン様式という造語だろうか。ロキシー・ミュージックのボーカリストであるブライアン・フェリーは、確か初めてのソロアルバムもカバー集だったと思う。原曲をよく知らないまま、どことなく魅かれてよく聴いていた。全曲ボブ・ディランのカバーであるこのアルバムも、ブライアン・フェリーらしく、ポップで洒落ていて心魅かれる。ディランが使いそうもない楽器をいっぱい使って、歌われるブルース(憂鬱な気分)も透明で明るい。満員の通勤電車に耐えながら、聴いている。「運命のひとひねり」、「親指トムのブルースのように」「見張り塔からずっと」「イフ・ノット・フォー・ユー」ディランの代表曲が並ぶ。ブライアン・フェリーが愛聴したであろうディランの曲の数々、「こう受け取りましたよ」と言う彼の応答であるカバー、その音の広がりに、満員電車の私は救われている。

2枚目はジョン・オズボーンの『SONGS OF BOB DYLAN』(2017年)。ラジオから流れてきたアルバムの中の1曲を聴いて、たちまち好きになってしまった。彼女のカバーを聴いて、ボブ・ディラン自身が「エクセレント!」と言ったというエピソードが紹介されていた。ディランのこのコメントを聞いて、彼女うれしかっただろうな。このアルバムで初めて知った彼女の略歴を見てみると、1962年生まれで同い年。音楽のキャリアを重ねてきて、自分の力量も、いっしょに演奏する仲間もできて、やっと自分らしくボブ・ディランを表現できるようになったのだろう。ウッドストックの紅葉のなか、車にもたれかかるディランを真似して撮ったアルバムジャケットもちょっと得意気でかわいい。
ディラン自身も気づいていない彼の楽曲の良さが、カバーによって見出されている。
そんなことを思って、2枚のアルバムを聴いている。

この春から「かえるの学校」に通っている。フリーライターの渡邉裕之氏の大森の住まいを「人が交流するきっかけになれば」との思いでフリースペースとして解放して学校にしたもので、渡邉氏が文章教室を、大西寿男氏が「校正教室」を開いている。長く出版の世界に関わるなかで身につけてきた、本づくりや雑誌づくりの技術や考え方を伝えるクラスだが、本作りだけでなく、「実人生でも使えるような知恵を伝えることを目指します。」とある。渡邉氏の文章教室は「インタビュー原稿の書き方を中心に教えますが、そこから「他者の声を聴く力」を模索していきす。」という事であり、大西氏の教室も「校正をただ原稿のまちがいを正していく作業ではなく「他者のことばを力づける(エンパワメントする)」仕事と定義し、授業に臨みます。」と説明されている。

友人に誘われて、私は渡邉氏の文章教室「オーラル・ストーリー」のクラスに参加した。このクラスは「声の物語=「オーラル・ストーリー」を聴きとり、ことばにしていく技術を伝える教室」で、「具体的には、受講生にインタビュー原稿を書いてもらいます。」ということだ。

6月の土曜日の午後、5人のクラスメイトと一緒に菊地文代さんをインタビューして、それぞれが聞き取った物語を1冊の小冊子にまとめた。菊地文代さんは、昭和5年に生まれ、ドキュメンタリー映画製作、共同保育、伊豆河田での「いりあい村」と多彩な人生を送った女性だ。同じ時間を過ごしたのに、それぞれが描いた菊地文代さんは、受け取った者の形に否応なく鋳型されていておもしろい。菊地さんに響いた自分と、他の受講生に響いた自分の両方が居る。私が菊地文代さんから受け取ったもの、それを言葉に表したものが、今、よく聴いているカバーアルバムのように、菊地さん自身にとってもうれしい応答になっていれば良いのだけれど。