言葉と音楽を聴きに札幌に出かける

若松恵子

4月10日に、言葉と音楽を聴くために札幌に出かけた。北海道新聞の夕刊に連載している天辰保文(あまたつ やすふみ)氏のコラム「音楽アラカルト」の連載600回を記念して、札幌市時計台ホールでトークライブが開かれたのだ。天辰保文氏はロックを中心に評論活動を行っていて、ニール・ヤングのライナーノートでその名前を覚えた。今回ゲストで呼ばれた仲井戸麗市の4枚組ボックスセットにも、とても心温かな文章を寄せている。

札幌は意外な暖かさで、地元の人たちはもうコートを脱いでいたけれど、公園にはたくさんの雪が残っていたし、開場前の列に並んでいた夕暮れの頃には風もずいぶん冷たかった。夜が近づくにつれて、大きな文字盤を照らす電燈が灯って、その灯りが空気の冷たさのせいか透き通ったように見えて、そんな小さな事も心に残ったのは、トークライブの全体に流れていた静かで確かな時間のせいだったかもしれない。

会場は、あの有名な時計台の2階。集まった皆は、日曜のミサに出席するみたいに4人掛けの木のベンチに座って、天辰保文と仲井戸麗市が選んだ曲をいっしょに聴いた。

ロックとの出会いとなったビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」。聴く前と聞いた後で人生が変わってしまったように感じたという1曲。アムネスティ・インターナショナル50周年記念として制作されたボブ・ディランのカバーアルバムから、92歳になったピート・シガーが子ども達と歌う「フォーエバー・ヤング」。自分の後輩として世に出たディランの曲を、敬意を持って歌うピート。その「ヤング」という言葉に込められている意志。歳月を経て再びいっしょに音楽を奏でるスティーヴン・スティルスとニール・ヤングの「ロング・メイ・ユー・ラン」。今もなお鋭く社会と向き合って歌い続けるブルース・スプリングスティーンの最新アルバムから「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームス」。

司会の山本智志氏(音楽評論家で今回の企画の発起人)も言っていたけれど、ただ好きな音楽を大きな音でかけて、皆でいっしょに聴いて、その曲について話すというだけで、どうしてこんなに楽しいのだろうという2時間だった。

トークライブには「ビートルズから50年。いつもロックがあった」というタイトルが付けられていた。
天辰氏が1949年生まれ、仲井戸氏が1950年生まれ、司会の山本氏が1951年生まれ。ロックの青春期をいっしょに生きてきた世代だ。曲が掛っている間、3人ともうれしそうに、全身で音楽を聴いていた。何度でも新鮮に曲に向き合える心を持っているようだった。

そして、曲について語る言葉は静かで、確かだった。「ロック」への敬意に満ちていた。ロックに出会うと乱暴者になるなんて事は全くの誤解だ。ロックがいつも傍にあったことで、嫌な大人にならなかった人たち。月並みな表現だけれど、今もなお少年のような3人を見てうれしい気持ちになった。

帰ってきてから天辰さんのコラムを集めた『ゴールド・ラッシュのあとで』(2008年/(株)音楽出版社)を読み返す。ジャクソン・ブラウンについて彼は次のように書く。
「ジャクソン・ブラウンのように、深い痛みや大きな悲しみを前にして、湧き上がってくる感情たちを、それこそ丹念に言葉やメロディに完結させていった結果としての歌は、簡単に言葉で説明できるはずのないものだ。だからこそ、彼の歌に耳を傾けずにはおれない。適度な誤解と勝手な解釈を交えながらも、ぼくは、彼の歌を身近に引き寄せ、胸の奥深くに受け止めずにはおれない。そうすることで、ときには僕自身の中に潜む卑しさを怒り、臆病さを嘆き、見せかけの優しさを呪い、ときに勇気を奮い起こしていく喜びを感じながら、ぼく自身の歌を奏でなければと思えてくる。」

彼のこんな文章を、私も「胸の奥深くに」受けとめる。音楽に揺れた心に形が与えられる。歌について書くことは意味の無いことではないと思える。音楽と肩を並べている言葉というものもあるのだと思う。