耳をすます

若松恵子

明日から11月だというのに、夜は暖かで吹く風もやわらかい。そんなことが何かうれしくなってしまうような帰り道。9月の「水牛のように」でも触れた『ろうそくの炎がささやく言葉』(管啓次郎・野崎歓 編/勁草書房)の朗読会に出かけたのだ。10月31日、西麻布にあるRainy Day Bookstore &Café にて。管啓次郎さん、小沼純一さん、谷川俊太郎さんの朗読と谷川賢作さん、金子飛鳥さんの音楽。ろうそくの灯りが揺らぐなかで、ひとつの声に60人近い参加者がみんなで耳をすます。

はからずも谷川氏によって朗読された「耳をすます」
「みみをすます ひゃくねんまえのひゃくしょうの しゃっくりに みみをすます
 みみをすます せんねんまえの いざりのいのりに みみをすます・・・・」

今はもう失くしてしまったものに耳をすます。
めぐりあえなかった時代の者たちに耳をすます。
耳をすますとは、見えないものを見ようとする意志。
目の前に在るものだけが”在る”わけではないと考えようとする意志のことだ。目に浮かぶ遠い時代の侍のおもかげ。目を開いたまま、あたまの中ではっきりと像を結ぶまでじっと思い浮かべる。

管氏が自作を朗読する。「川が川に戻る最初の日」。
砂漠に雨季が訪れ、川が戻ってくる日。砂地を走ってくる水。川の先頭。
会場は川の水で満たされ始める。はしゃぐ子どもたち。確かに聞えた水音。
立ち現われる風景。
朗読に続く音楽が、言葉と等価に風景を描いてゆく。

読んで聞かせてもらうというのは、大人には貴重な体験だ。実際に朗読を聞かせてもらうと、管氏がなぜ肉声にこだわったのかがわかる。視覚を空にして、目をつぶって見るためには本当に最適な方法だと思う。失ってしまったばかりだと思わずに、目をこらして見るために。