「砂丘」

三橋圭介

アントニオーニの「砂丘」(1970)。ずいぶん前にDVDを買った。きっかけは映画よりピンク・フロイドの音楽だった。コロナ期間に改めてこの映画を見直した。「情事」「夜」「太陽はひとりぼっち」の三部作は「愛の不毛」として知られている。そのあとのロンドンを舞台にした「欲望」をあえて「現実の不毛」と呼ぶなら、この「砂丘」はロスアンゼルスを舞台にした「アメリカの不毛」と呼ぶことができる。「不毛」とは土地がやせて作物ができないことだが、アメリカは60年代に「消費資本主義社会の夢」を実現していた。物や広告にあふれ、学生運動、フリー・セックス、銃社会というアメリカは、部外者であるイタリア人のアントニオーニにとって非常にゆがんだ社会に映ったのだろう。学生運動から逃げ出してしまう貧しい主人公は盗んだセスナで逃避行し、ヒロインの女性に出会う。死の谷の快楽のあと、セスナを返しにいった主人公は殺されてしまう。あとでそれを知ったヒロインの怒りが丘に作られた豪華な別荘を(幻想のなかで)爆破する。それだけの話である。有名なのは粉々になる別荘がさまざまな角度から何度も何度も繰り返されるシーンで、このとき流れるのがピンク・フロイドの”Come in Nummber 51,Your Time is up”。Nummber 51は別荘の番地だろうか。「51番地においでよ、きみの時間はもうおしまい」。アントニオーニはこの最後の爆破を撮るために映画を作ったのだろう。別荘全体の爆破に加え、その家のなかにある消費文化を表すさまざまな物(衣装、テレビ、冷蔵庫、本棚)も砕け飛ぶ(https://www.youtube.com/watch?v=vyS7CrANBnk)。最後にヒロインがそれを見上げ、満足した様子で去っていき、映画は終わる。「欲望」と違い、この映画がヒットしなかったのは、二人の主人公たちを通したアントニオーニの視線がアメリカ「消費資本主義社会の夢」を粉々にしたからだろう。「イージー・ライダー」「俺たちに明日はない」など、アメリカン・ニュー・ウェーブ(アメリカン・ニュー・シネマ)というアメリカ内部からの批判にたいして、「砂丘」は外側からのアメリカ全体への批判であった。トランプを太らせたあの時代は去り、残された「証言」のひとつがこの「砂丘」である。”Come in Nummber 51,Your Time is up”