オーネット・コールマン、ハーモロディックな夢(1)

三橋圭介

オーネット・コールマンが、自身の音楽理論ハーモロディックについてはじめて触れたのは、1972年に発表したアルバム「アメリカの空」のレコード解説だった。だが、この理論は1950年代初頭、すでに頭のなかにあった。かれによれば最初のハーモロディックは、「ジャズ来るべきもの」(1959)のなかの「ロンリー・ウーマン」(1954年作曲)だと述べている。当時は理論としてではなく、おそらく内的なロジックであり、漠然とした何かだったのだろう。ただ、そこには従来のジャズを超えるコードの多重化、変則的なテーマの小節数、タイミング、音色、ピッチ、空間に対する逸脱があった。

ハーモロディックとはharmony・motion・melody(ic)から取られた造語であり、コールマンはそれを一冊の本にまとめようとした。しかしうまくいかなかった。その後、何人かがかれと関わり、細切れになった断片を寄せ集め、理論として構築しようと試みた。しかしあまりにも多岐にわたるため、未完に終わった。

1972年以降、ハーモロディックは一部の人たちのなかで議論の的となり、さまざまな解明が試みられている。コールマン本人の言葉を中心に、双子と呼ばれた初期の仲間ドン・チェリー、そしてブラッド・ウルマーなど側近へのインタビュー、また学者、評論家などの研究など、さまざまなことばがハーモロディックを巡っている。しかし、この理論を不明確にしているのは、本人のあいまいな発言にある。

「ハーモロディックのソロ、あるいはアンサンブルをきくとき、メロディに耳を澄まし、1つのアイデアからさまざまな方向にメロディが変化していくのをきき取らなければならない」。また「人それぞれのロジックに基づく肉体的・精神的な行いが音の表現に、ひとりないしはグループによるユニゾンの感覚をもたらすこと」。さらに「ハーモロディックとは、モデュレーション(主調の転調)なしに、きき手の原理・原則をもたらすことを意図した音楽です」。より具体的なのは、フリー・ジャズ系のベーシスト、ペーター・ニクラス・ウィルソンの書いた「オーネット・コールマン 人生と音楽」だろう。かれはコールマン自身の書いた譜例なども用いながら、ハーモロディックを解説している。

たとえば、4つのパートあるとするなら、まずヴァイオリン記号のド・レ・ラ・シをテノール記号、バス記号、アルト記号のそれぞれで読み、水平のメロディ、垂直のハーモニーを作るというもの。さらにハーモロディック・モデュレーションによるユニゾンの多用によって多層化され、複雑な響きを作りだす原動力となる。このやり方は即興のないクラシカルな室内楽やオーケストラ作品、「フォームズ・アンド・サウンズ」「スペース・フライト」「アメリカの空」などで主に実践されている。

これらの作品は大雑把に無調に聞こえるが、シェーンベルクのような調性の限界を越えようとして生まれた無調性ではない。根底にはコード的なダイアトニクな感性が常に働いている。4パートの曲なら1小節のなかでAの楽器がCのコードに基づく旋律(主要メロディの細胞に基づく)、別のB、C、D楽器にはそれぞれ別のコードに基づく旋律(主要メロディの細胞に基づく)が割り振られ、それらが多層化され、結果として無調性にきこえる。現代音楽の世界でたとえるなら、アイヴスのポリトナリティ(多調性)と同じ効果だ。こうしたハーモロディックの動機的な展開とモデュレーションは、パントーナル(汎調性)を前提としたポリトーナルによって、各パートのメロディ、動き、ハーモニーの等価性を保証している。

ただしジャズの即興に基づくトリオやカルテットでこうした技術を実践しているわけではない。「ロンリー・ウーマン」はテーマのくり返しが終わり、コールマンのソロの部分、チェリーがカウンター・メロディ(ベース・ラインのユニゾン)を演奏するが、ここでコードの重複が起こっている。その距離はDm/Gm・E♭m/Gm#5・Em/Gm6(チェリー/コールマン)となる。また、基調はDだが、コールマンはハーモニック・マイナー・スケールやメロディック・マイナー・スケール、そしてDmのペンタトニック・スケール(♭5)なども使用している。これらが微妙にズレた音程、リズムの入りなどを含めて、コールマンを当時のジャズと大きく隔てていたもので、衝撃として受け取られた。

この「衝撃」はコールマンの感性だったのか、それとも戦略だったのか?おそらく、「内的なロジック」という感性を戦略に転化させたのだろう。というのもコールマンは、長い間アルト・サックス(E♭)が移調楽器であることを知らずに演奏していた。1960年のガンサー・シュラーのラジオ・インタビュー(BBC)で認めている(ここではまだハーモロディックという言葉はでてこない)。つまり正しいと思って弾いている音は、実際に出ている音とは違っていた。結果としてそうしたズレに慣れ親しみ、感性として鍛え、後に、戦略としてのハーモロディック理論へと導いたといっていいだろう。先に述べた音部記号の読み替えが、読み違いから生まれたということは容易に想像できるし、この発見はビ・バップ以降のジャズを乗り越える原動力であり、可能性ともなった。(つづく)