失われた伝統(1)ラウル・コチャルスキのショパン

三橋圭介

ショパンはすぐれたピアノ教師だった。かれは自分の曲を、特にポーランド人の弟子たちに非常に厳格におしえた。その伝統とはどのようなものだったか。その答えはラウル・コチャルスキの演奏のなかにあるかもしれない。

コチャルスキは1885年にポーランドに生まれ、1948年に亡くなった。年代的に見るなら、かれよりもロマン派の時代に青年期を過ごした1848年生まれのウラディミール・パハマン(1933年没)のほうがロマン派的伝統を身につけているはずだ。たしかにそうだろう。だが、ショパンの音楽がロマン主義の伝統のなかでどのような位置づけにあったかを考えなければならない(シューマン同様、ショパンは自分の音楽をロマン主義ということばで説明されることを好まなかった)。コチャルスキが1920年代から40年代にかけて残した録音(Archiphon ARC-119/20、Biddulph LHW022)からきこえてくるのは、ロマン主義のパハマンとも、もちろん華麗なヴィオルトゥオーゾを装った現代ともまったく別の音の世界だ。

ピアニストとしてコチャルスキは4歳でコンサート・デビューし、また5歳からはじめた作曲では、7歳までにすでに40を越える作品を書いた。そうした才能に目をつけたのが、ショパンの高弟カロル・ミクリ(1821-97年)だった。かれは1892年から4年間、まだ幼いコチャルスキをショパンの伝統の後継者にしようと徹底的に仕込んだ。それはショパンの厳格なメソードに基づいたもので、たとえば、姿勢から運指法、ペダル法、レガート、スタッカート、装飾音、フレーズの構成、リズムの扱い、ルバートなどだった。当時、レッスンがとても大変だったことを、コチャルスキは告白しているが、かれの歴史的録音をきくと、たしかに身につけたと感じる何かがある。

「あの木々を見てみなさい。葉が風にざわめいて波打っているが、幹は動かない。これがショパンのルバートだ。」リストがいったと伝えられているこのルバートは、ショパンのピアノの演奏のなかでも最も特徴的なものとして挙げられている。それは左手の正確なテンポを保ちながら、右手を遅らせながら自由に歌わせる技術だ(パハマンのルバートは、旋律を正確に歌いながら、左手を操作している)。これはハイドンやモーツァルトの時代に使われていたルバートと同様の効果がある。

ルバートとは17世紀終わりから18世紀にかけて、歌のベル・カント(美しい歌)様式が器楽に移されて発展したもので、バスの安定した動きの上でアリアやレチタティーヴォなどをうたう歌手が、音を長くしたり、短くしたりしながら、装飾音をつけて演奏したことにはじまる(そうしたベル・カントに基づく装飾的なルバートの例は、モーツァルトの緩徐楽章に多く見つけられる)。ショパンは常々イタリアの歌手のベル・カント唱法を見習うように注意したが、それは旋律を巧みに歌うことと密接に結びついていた。

リストがいう「ショパンのルバート」は、当時でも評判が悪かったという証言もあるが、コチャルスキはそれをミクリから学び、よく理解していたのだろう。かれの弾く前奏曲の第2番は、即興的な装飾を一切行っていないが、リストのことば通りの演奏の例だ。だが、それを実際にきくととても奇妙な印象を受ける。左手のパターンの上で、右手が全体に遅れながら同時に進行するが、こういう表現は今までコチャルスキの演奏以外ではきいたあことがない。だが、「奇妙に感じる」のは、いわゆるクラシックをきく耳できくからであって、アジアや東欧の伝統的なアンサンブルをきく耳には親しいものだ。たとえば、ドローン上に浮遊して戯れる旋律は、インド音楽やジプシー・ヴァイオリンのアンサンブルなど、そうした例はたくさんある。こうした伴奏と旋律を完全に独立させるやり方は、理論ではなく、和声と旋律の音色の微妙なバランス関係、つまり不規則の規則によって行われている。

さらに装飾音との関わりでいえば、ノクターンの作品9の2はミクリをはじめとして、いくつかの装飾稿の存在が知られているが(ショパンはおなじ曲を2度おなじように演奏しなかった)、コチャルスキの演奏はそのどれともちがう。抒情豊かに旋律が歌の内的な流れにたゆたうように揺らめき、冒頭の旋律のくり返しの前で、巧みなルバートをかけて半音階的に駆け上って旋律を受けつぐ。息を呑むような瞬間だが、ショパンは声楽のポルタメントの効果をピアノに求めたといわれているが、ここではそれを彷彿とさせるものがある。歌はくり返される度にその息遣いと共に多様な表情を見せていく。

コチャルスキの前奏曲、練習曲、ノクターン、マズルカなど、これまできいたどんなショパンともちがう。詩情にあふれ、瞬間に瞬く儚い美しさがあるが、その歌の行方を追いかけていると、いわゆるクラシック音楽のショパンをきいているというより、ポーランドの伝統音楽のなかのショパンをきいているような錯覚すら覚える。また、コチャルスキという演奏者の個性というものをまったく感じさせない。よい意味で、ローカルな素朴さ、美しさをたたえた歌う音色の音楽であり、ショパンがほんとうはこういうものだったのか、という思いを強くさせる。その意味でもショパンのピアノの伝統が当時でも極めて孤立した現象だったと想像することもできる。ラウル・コチャルスキのショパンは、そのことを伝えている。