がやがやにはいくつもの物語がある

三橋圭介

先日、がやがやの練習は港なしで行われた。メンバーの一人あさみんがピアノを弾いて歌の練習。せつさんが歌をひっぱっていく。練習というのはそういうことで、歌の訓練というものではない。「もっと大きな声で歌いましょう」とか、ここは「感情をこめて」とか、けっして言わない。こうあって欲しいという期待ではなく、ずれあう声の輪がしだいに広がっていく。それを待つ。それでもピアノやギターの弾き歌いでリードしていた港の存在は大きい。それを察してか、きりさんが「録音をきこうか」という。録音に合わせてやったり、ピアノでやったりを繰り返す。歌と歌のあいだは、がやがやががやがやたるを思う存分発揮するが、この日は洋ちゃんという子が突然ピアノを弾きはじめた。いままで彼がピアノを弾くところは見たことがなかった。両手でリズムに合わせて楽しそうに弾いている。時々、こちらも見てニコッと笑う。練習が終わった後、きりさんは「洋ちゃんは港さんをとても尊敬していて、今回、メンバーのあさみんがピアノを弾いたから、自分も弾いていいと思ったのかもしれない」と言った。あさみんは後日「洋ちゃんは、わたしが頼りないから助けてくれたんだと思う」と言った。どちらもほんとうのような気がする。港がいるとき洋ちゃんはいつも一人でひっそりとしている。神様がいないときタイコを叩いたりする。すこし時間がたって、きりさんが少し感動した様子で私に言った。「いい笑顔よ」。見るとあさみんの笑顔があった。手はリズムを刻み、時々楽しそうにうなずいている。その様子をカメラ越しに見ていたから、何がそんな笑顔にさせるか。視線の先にはタイコを叩く洋ちゃんがいた。洋ちゃんは時々あさみんを見ている。美しい笑顔のタイコ練習。がやがやにはいくつもの物語がある。