イスラム国の終わった日

さとうまき

昨日、「イスラム国は終わった」とアーデル君が言ってきた。慌ててTVのスイッチを入れる。イラク軍が「ヌーリ・モスク」を奪還したと発表した。これを受けてイラクのアバディ首相は「ISという偽りの国家は終わった」との声明を出したというので、大げさな演説をするのかなと思いきや、どうも、twitterで、つぶやいたらしい。

ヌーリ・モスクは、一週間前にISが爆破した、ちょっと傾いた塔のあるモスクだった。この塔の傾きは、西からの風に数世紀もさらされ徐々に傾いっていったというから歴史を感じる建物である。そんなものを平気で壊せるのだからIS恐るべきだ。3年前に、バグダディがイスラム国建国の大演説をした場所だが、イラク軍が奪還しても、ただのがれきの山でしかも、アバディ首相はまだつぶやいただけというしょぼさである。

しかし、思い起こせば、この3年間、いろんなことがあった。3年前のアルビルも暑く、時に50℃を超えることもあったが、キリスト教徒の避難民であふれ、そこら辺の公園にもテントが張り巡らせていた。トラックの荷台に載せられて逃げてきた男の子は脳腫瘍で、野戦病院のテントのベットに寝かされていたが、やがて息を引き取った。ほかにも多くのがんの患者が、僕らが働いているがん病院に運ばれてきた。そんな子は死んでいった。環境が厳しいからだろうか。

ドホークに行くと、こちらは、建てかけ中のビルに避難している人や学校に身を寄せている人たち。パンや水を持っていく。事務所にあった古着を持っていくと、こんな時は、それでも喜んでくれるのだ。あまりに熱いので氷を配ったこともある。

レイプされた女の子が解放されると、健康診断を受けるためのお金を払った。ドホークでは知り合いに知れたくないというので、アルビルまで連れてこさせての妊娠検査。この国では堕胎できないから、妊娠してたら、みんなで引き取って育てようとか、いろいろ思いめぐらしたが、妊娠していなことが分かった時は一緒に喜んだ。

アーデル君も、ヤジディ教徒で、ISに家を追われた青年だ。彼のお父さんは軍隊で働いていたから、ISの攻撃をいち早く知り、親戚の暮らしているクルド自治区に避難した。兄と下の弟は、トルコに逃げそこから海を渡ってギリシャについて、最後はドイツに逃れ難民として認められた。兄さんが、FBで連絡してきて、弟の面倒を見てほしいというから、結局うちで働いてもらっている。彼の口癖は、「イラクには、僕たち少数民族には全く夢も希望もないし、いつまた殺されるかわからない。早くここから出たいよ」
「ISが終わった」というニュースにも喜びすら見せない。「お金、お金。お金」ここを脱出するために金が欲しいといつも言っている。

ちょうど日本では、UNDPのアラブ局のワフブ局長が来日し、インタビューで「モスルの復興に協力してほしい」と訴えたそうだ。

ワフバ局長は「仕事が見つからないという不満や失望が募ると、中には危険を冒してヨーロッパに渡航しようとする者や、過激派グループに加わる者が出てくるおそれがある」と述べ、職業技術の訓練など、避難していた若者が仕事に就く環境を整えるため、日本の企業に協力を呼びかけました。(NHK)

アーデルと一緒に、金持ちになる方法を考えている。ほっておくと、家でビールを飲んで愚痴っているただのおっさんになってしまう。昨日も文句を言いながらひまわりの種をぼりぼり食いながらビールを飲んでいる。机の上には、ひまわりの種の殻。そうだ! これをリサイクルして、和紙でも作ったらどうだろう。そこそこ売れるかもしれないな。とアーデルに持ちかけようとしたら、すでに気持ちよさそうに寝てしまっていた。