夏のダマスカスで怪しいものを仕入れて大金持ちになるという夢

さとうまき

今回は、ダマスカスの旧市街の中に宿をとった。旧市街はローマ時代に作られた遺跡もあり、中世には、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、城壁で固められたそうだ。東門から石畳の狭い路地に入っていく。迷路のように入り組んだ狭い道に教会やら、モスクやらが混在している。

ダマスカスといえば夏でも日陰に入ればひんやりとしているし、朝晩はジャスミンの香りのそよ風が心地よい筈だった。ところが、今年の夏は暑くて、汗がたらたら出るし、湿気も感じる。夜になってもそれほど温度が下がらない。幸いにもホテルはキリスト教地区だったから、手軽にビールが飲めたので救われた。

今回のミッションは、赤ベコづくりを子どもたちに教えること。昨年僕がプレゼントにもっていった赤ベコを、シリアのアリさんというアーティストが子どもたちと一緒に樹脂で作ったのだ。いや、やっぱり紙の張り子のじゃないと。ということで教えるはずが、アリさんは研究して石膏の型を作って、張り子を自分で作ってしまったからすごい。彼がひとりで張り子のベコを50個以上作ってくれた。子どもたちが石膏の型に紙を張るところから体験して、あらかじめ作っておいた張り子に色を塗る。3日間で3か所、100人ほどの子どもたちと一緒に赤ベコを作ったのだった。

今回のテーマは、1)いろいろなところからダマスカスに避難している子どもたち。2)革命の都といわれたホムスに戻ってきた子供たち。3)小児がんの治療に来ている子供たちを対象にし、「みんなで平和のハーモニーを奏でましょう」というわけだ。この言葉は、子供たちが書いてくれたメッセージから選んだ。

例えばダマスカスの子どもたちが通う小学校から400メートルいくと、大通りを境に東側は空爆と迫撃砲で町がごっそりとがれきになっている。破壊される前に避難してきた子供たちが通っているそうだ。ホムスでは、レバノンに避難していたが数か月前に戻ってきたという子供もいた。お父さんは、レバノンでは仕事がなかったが、こちらに戻ってきてまた公務員の仕事に就くことができたと嬉しそうに話していた。

ともかく子どもたちは、大喜びでベコづくりに励んでいた。日本人が来てなんだか変なことをやっているのが面白かったのかもしれないし、赤ベコTシャツをみんなできてその一体感が楽しかったのかもしれない。

バスに乗って連れてこられた子供たちが手を振って帰っていく。ミッションは完了した、と報告しておこう。

シリアの内戦をテーマにした映画を何本か見たが、殆どは、民主化を訴えるデモから始まり、拷問を受けている映像や、破壊されたがれきの中から生き埋めにされた子どもたちが土埃というよりはコンクリートの粉で真っ白になり、血が混ざっているという残虐な映像、そして銃を撃ちまくる兵士たち。多くの人はそんなイメージをいまだに抱いていると思う。

ところが、行ってみて戦争のにおいはほとんどしなかった。前線から離れれば普通に人々は暮らしていた。避難していた人々も戻り始めている。国外に逃れた難民も62万人以上が戻ってきた。国内で避難していた人は130万人がもどっているという。でも全体からすれば10%から20%程度でしかないのだが。

去年は、政府が制圧し、仕掛け爆弾などの除去がおわると、もと居た住民たちが様子を見に来る場面にでくわした。でもとても人が住めるような状態ではないとわかればもはや誰も近づこうとしないから戦争の傷跡すら見えにくいものになってしまっている。

で、もう一つのミッションは、シリアの怪しげなものを仕入れて、商売して大儲けをするという計画だ。ダマスカスはお土産になりそうな寄木細工のモザイクの箱や、刺繍製品とか、いろいろ有名なものがある。スークに出かけて行って調査しながらいろいろ買ってみた。

そして、今回お目当てなのは、ナチュラルオイルで作ったシャンプー。中東によくあるのが、ハーブや、バラの花の乾燥したものやら、訳の分からない木の根っこだったり、サルノコシカケのようなものとかが、漢方のように売っているお店がある。サメの乾燥したものや、フグの乾燥したものまで天井からぶら下がっていて、一体何に使うのか怪しげなのだ。

アラブ女性は意外とシャンプーやトリートメントも、ナチュラルなものを気にしている。白髪染めもヘナを使ったり。そこで、売れそうなシャンプーも何本か買ってみた。ところが、暑すぎたせいか、いくらで買ったのか思いだせないのだ。ビジネスマンになるのはなかなか容易ではないな。

ダマスカス旧市街をあるけば、魔法のランプや空飛ぶ絨毯に巡り合えそうな気もする。どうせ怪しいものなら今度はそういうものを探しに行こうと思う。そのほうが、楽に暮らせて行けそうだ。