翔んでアンマン

さとうまき

ヨルダンの首都、アンマンに着いた。葉っぱが黄色く色づいて、秋が深まる。僕は中東のこの季節が一番好きだ。

アンマンのタクシーは以前から最悪だと思っていた。ドライバーのマナーが悪いし、メーターがついているのに、こっちがよっぽど言わないと回さないでぼったくる。そしてセクハラも多そうだ。そして、手を挙げてもなかなか捕まらない。

しかし、最近ヨルダンでもウーバーが出てきて、使ってみると、少し高いがとても便利だ。ウーバーというのはアメリカの配車サービス会社で、携帯にアプリを入れて、車を呼び出すと、近くにいる車がすぐやってくる。一般人が自分の空き時間と自家用車を使って他人を運ぶ仕組みだ。ドライバーの名前と電話番号も出てきて位置を確認できる。あとで評価を入力するから安心だ。難を言えば、ドライバーがあまり道を知らず、アプリに頼っていることで、お客がしっかりと目的地の名前と住所を知ってないといけないことくらいか。アメリカ人の考えることはすごくて、世界侵略にはたけた人たちだ。

ちょうど、僕がかつてヨルダンで雇っていたシリア人のドライバーのアバジッドさんから連絡が入る。彼は2年前にアメリカに移住してウーバーの運転手をやって安定した収入を得ていた。「ウーバーでの俺の運転の評価はとても高いんだよ」という。ちょうどヨルダンに来たという。今回は、シリアに里帰りしようと考えているらしい。というわけで、ウーバーはやめて、レンタカーを借りて彼に運転してもらうことになった。

アバジッドさんの家は、ダラーにあるが、政府軍に激しく攻撃され廃墟になっている。「娘たちはシリアに帰りたがっている。もし帰れるなら、夏休みだけでも子どもたちが過ごせるようにしたいなあと思って」

アバジッドさんは、反政府運動に積極的に参加したわけではなく、政府から目をつけられているとは思わないが、それでも、帰ってみないと安全かどうかはわからず、いろいろと情報を集めていた。

「マジドのお兄さんは、一か月前に殺されたんだ。」マジド君は、2013年、11歳の時、ダラーでロケット弾にあたって右足を切断した。そして一人だけヨルダンに運び込まれて治療を受けていたのだ。

その後、母と弟がヨルダンに難民として逃れてきて一緒に暮らしている。父と兄はダラア―に残っていた。マジド君は携帯電話の修理を覚えて、ヨルダン人が運営する携帯電話屋で月に3万5000円ほど稼いでいる。最初はリハビリに通っていたが、いつしかそれは筋トレに変わり、上半身にはしっかりとした筋肉がついてたくましくなっていた。

一年前に「来週、シリアに戻ることにしたんだ」といっていたのを思い出す。「父の話では『もう帰っても大丈夫』というので、帰ることにしたんだ。シリアには自由がないかもしれないけど、離れ離れになった家族が5年ぶりに再会できるんだ」

マジドの兄さんは、反体制派を支持していたが、最近になってアサド政権に協力して働くようになったという。「あれほど憎んでいたのに?」生きていくためには背に腹は代えられない。

しかし、そうはうまくいかなかった。今度は、反体制派の連中からしてみれば裏切り者だということで、白昼市場で射殺されたというのだ。マジドは、シリアに帰るという計画を断念した。ヨルダンでの生活は以前にもまして援助がなくなり、苦しくなっている。カナダが障害者を受け入れてくれると聞いて移住を希望しているという。

アバジッドさんにムラッド君19歳の家も訪問したいとお願いした。ムラッド君は13歳で、右腕と右足を切断した。

「俺は、あそこのオヤジを好きになれないんだ。なぜなら、行くたびに何かせびられる。特に君と一緒に行くと、あいつら期待するから」アバジッドさんの言うことはよくわかる。でもムラッドの成長を見ておきたいという親心がある。「なら、こう言ってくれ、俺は悪いやつに騙されて失業して、もはや、人道支援どころか、借金を抱えている身だ。わかるだろ、君もイスラム教徒だから、今は僕が施しを受ける番だってこと」

アバジッドさんは、俺が失業したから、何にも持っていけないことをまじめにムラッドの父ちゃんに電話で説明していた。「オッケーだ。彼は何も要求しないって」

それでもアバジッドさんは、お菓子を買って持っていくことにした。アバジッドはアメリカでそこそこ稼いでいるからたくましい。

「日本で仕事見つけるのはむずかしいのか?」

「ああ、この年になるとね」

「日本でウーバーやればいいじゃないか?」

「運転ねぇ、あんまり得意じゃないしなあ。すぐぶつけそうだし」

ムラッド君の家は、坂の途中に引っ越していた。親父が出てきて機嫌よさそうに迎えてくれる。なんでもカナダ行きが決まったそうだ。ムラッドはというとさらにでかくなって2メートルくらいありそうなのだ。スマホに入っている動画を得意に見せてくれる。

初めて彼に会ったとき、13歳の青年だった彼がスマホで見せてくれたのは自分が病院に担ぎ込まれた時の映像だ。足はぐちゃぐちゃにつぶれ腕は皮一枚でぶら下がっていたので、付き添いの若者がちぎってしまおうとしたとき、ムラッドは意識がもどって、「ああー」とうなるところで映像は終わっていた。僕はショックを受けた。ムラッドは臆することなく堂々と映像を見せてくれて、微笑んでいたのだ。僕は、彼のメッセージを世界に伝えなければならないと思い回りの人たちにこれがシリアの内戦なんだと訴えていたのを思い出す。

今回、19歳になったムラッドが見せてくれた映像は、イラク人のキャプテンと腕相撲をやって打ち負かしたというもの。イラク人は戦争でケガをした同僚のお見舞いに来ていたらしい。そのキャプテンはマジに悔しそうな顔をしていた。

「僕と勝負しない?」ムラッドが挑発するがそれには乗らない。

「こんなおっさんに勝ったところで自慢にならないよ」

「カナダで何をしたい?」

「勉強をしたい。ここ(ヨルダン)では、学校に行くこともできなかったからさ。読み書きもろくにできないんだ。そして車の免許を取りたいんだ。片腕、片足でも運転できるのかな」

アバジッドがいろいろと車の運転について説明していた。

ムラッドのお兄さんは、かつてアメリカ軍のトレーニングキャンプに入っていたことがある。ISと戦うために、訓練を受けると給料がもらえたのだ。しかし、アサド軍と戦わないなら意味がないとやめてしまった。その彼は、今、シリアに戻り、政府軍に入っているというのだ。そしてやがてはカナダで皆で暮らすという。

この家族にとって、感情的にアサドが憎いというのは変わらないみたいだが、状況は大きく変わった。したたかに生きていくためには受け入れる。背に腹は代えられないってことか。彼らがカナダで幸せに暮らせる日が早く来ますように。

アバジッドさんも、ムラッドの父さんが、何も要求してこなかったのでとても機嫌がよかった。

「あの親父は、いろんなところか支援してもらってもすぐ金を使ってしまうんだ!」そう言って僕らは、シリア人がたくさん住んでいるイルビッドという町まで出かけて、ホテルに落ち着くと、インド料理の店を見つけてブリヤニを食った。羊肉がうまかった。またいつかどこかでこのおっさんに会いたい。多分シリアで。