父と子

さとうまき

東京は連日35℃を超えて、それでもコロナ対策としてマスクをつけて職業訓練校に通っている。WEBデザインが金になるのかどうかわからないが、人力車を引いていた若者は、観光客が来なくなって転職せざるを得なくなったそうだ。なぜか看護師もいる。どうして看護師をやめるのか僕にはわからないのだけど。SE業界でくたびれ果てて、耳がほとんど聞こえないが、それでも仕事に着かないといけないというおじさんもいる。そして、僕が加わりこのクラスの劣等生グループである。他は、バリバリ稼ぐ意欲にあふれている若者だ。皆、マスクをつけて、距離を取りながら、恐る恐る授業を受ける。

授業が始まるのが夕方の4時。10時近くに家に帰ると、部屋は散らかり放題で、気が付くとビールの缶やらペットボトルが部屋に散乱している。

3か月一緒に暮らしたムスコをお盆に北海道に送り返して2週間がたった。ムスコが、コロナが原因でふさぎ込んでしまって、部屋から一歩も出なくなってしまった。生きる希望すら失っているというので、別れた妻から頼まれて東京で一緒に暮らすことになった。

年に数回しか会わないからどういう風に接していいかわらず、僕も学校があるので、預けられる施設を探してみたが、息子は、「僕は、人に会うのは嫌だ」とかたくなに拒否し、3か月間、外には一歩も出ずに部屋にこもってゲームばかりしていた。ともかく生活が乱れてしまった。

私が帰ってくるとごはんを一緒に食べる。私はビールを飲み、息子は三ツ矢サイダーだ。サイダーを飲み切ると新しいサイダーを代わりに冷蔵庫に入れる。私のためにビールも冷やしてくれる。三ツ矢サイダーを箱で買うと50-60円/本と安いのだ。しかしムスコは、一口だけ飲んで、また次のサイダーを開ける。机の上には、空き缶だらけだが、半分くらいしか飲んでない。
「最後まで飲めよ。もったいないだろう!うちは貧乏なんだからさあ!」としかると「ごめん」と素直に謝り、一生懸命飲もうとするが、ゲップが出てくるしそうだ。鼻をかむと、そこいら中にティッシュが散乱している。
「お父さんの遺伝子を引き継いだんだ!」確かに!

ムスコは体育が苦手だ。ちょっと歩いただけで疲れたといい機嫌が悪くなり、めんどくさいので、出かけるときは車だった。ちょっとでも運動させたいなと思っていたが、なついてくると、やたら殴りかかってくるようになった。結構向こうは本気でグーで殴ってくる。スパーリングは一時間に及ぶこともあり、こいつこんなに体力あったっけ?と驚くぐらいだった。

僕は料理は苦手だ。それでも、頑張って作った。いろいろ作っても、うまいものとジャンク・フードしか食べてくれない。食べ残しを見ると少し悲しい。結局、息子の残したものばかリ喰っていると5kg増えた。息子は時たま僕が作るうまいものと、外食とジャンクフードで、3か月で12㎏増えた。

イラクの話もした。
「モスルという町は、イスラム国に占領されたんだ。オマル君は、君と同じ年だ。いろいろ悲惨な殺しを目のまえで見て、ショックを受けて調子が悪くなって、そのうちがんになってしまった。神経に腫瘍ができて手術で取り去ったのだけど下半身が動かなくなってしまったんだ。それでも、オマル君はいつもニコニコして挨拶してくれるんだ。お父さんのイラクでの最後の仕事がオマル君の面倒を見ることだったんだ。何か欲しいものがある?って聞いたら、ゲームをしたいという。彼はもう寝たきりだから、ゲーム機を買ってあげることは、決して贅沢じゃないよ。でも、病院にはたくさんの子どもが入院しているから彼だけ特別っていうわけにはいかない。お父さんは、君には、PS4もスイッチだって買ってあげたじゃないか?じゃあオマル君には買ってあげないのかい?って。だから、こっそりゲーム機を買ってあげたんだ。」

その時、僕は思った。オマルは、ムスコと同じ年。生きてほしい。オマル君のような子どもたちが生きるために、僕は世の中に不条理をまき散らすインチキな連中と戦ってきたんだと。
「でも、一か月後に彼は亡くなったんだ。お父さんの最後の仕事だったよ。」
息子は、その話を聞いてから、「僕はゲームを作るんだ。世界中の子どもたちが楽しめるゲーム作るんだ」といって張り切っている。

息子が去った部屋の片づけをしていて、オマル君の最後の日のことを思い出した。普段明るいオマル君も、痛みに耐えきれず苦しそうな表情を見せていた。やせ細っていくオマル君の手を握って、「頑張るんだ!」って励ました。

翌朝、病院に行くとベッドはきれいに片付けてありもう何も残っていなかった。
「朝方、なくなりましたよ」看護師さんが教えてくれた。覚悟はしていたけど、空になったベッドは、ベッド以外の何物でもなく、これから入院する患者を待っているだけなのだ。昨日までのことは嘘だったようにぬくもりすらも残っていない。ぽっかりと穴の開いた気持ちだ。結局オマル君は、僕に「頑張れ!」って言ってくれたんだ。オマル君が亡くなってから、実際、僕は頑張っていないから。オマル君が息子に乗り移ってメッセージを伝えに来てくれたのかもしれない。いやいや、ムスコにとってオヤジがだらしないと困るから、それはムスコの切なる願いでもあるのだろう。

いずれにせよコロナに負けている場合じゃないな。