裏切りとコンプライアンス

さとうまき

人生は裏切りの連続だ。

12月4日には、ペシャワール会の中村哲さんがアフガンで凶弾に倒れたというニュースが舞い込む。今まで、同業者が殺されると、ショックを受けて落ち込んだりした。でも中村哲さんの訃報を聞いたとき、「ああ、志を果たされて天国に召されるのだろう」という思いしかなかった。正直うらやましかった。

知り合いが、彼が残した言葉をいくつか拾ってFBに乗せてくれた。その中で心に響いた2つがある。

「誰かに裏切られたと思っても、すべてを憎まないことが大切。その部分だけではなく、良い面もあると信じて、クヨクヨしないということが何よりも大切」

人は簡単に裏切るものだ。イラクやシリアに入っていった人達はフィクサーに裏切られて、殺されていった。多分、中村哲さんの場合も内通者がいたのだろう。多分、お金をちらつかせると人は簡単に裏切る。僕も、イラクやシリアに入るときには、信頼のおけるローカルスタッフにすべてを任せるって豪語していたが、イエス・キリストだって弟子のユダに裏切られたのだ。資本主義と拝金主義がはびこる日本。最もビジネスの世界では、裏切りではなく、それも競争でしかないのかもしれない。

2番目。

「ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない『素直な心』を持とう」と哲さんが言っていたそうだ。

ちょうど、62歳の学校の教諭が廃棄処分になるパンを4年間持ち帰って家で食べていたことが発覚して懲戒処分、依願退職させられたニュース。6月に、「ルール違反ではないか」と匿名の通報があり発覚したらしい。

パン約1000個、牛乳4200本分として31万円を市に返金し12月25日のクリスマスに依願退職したそうだ。弁護士によると、「微妙な窃盗にあたる」らしい。確かにルールはルールなのだが、イエスがわざわいだといったパリサイ人のような人たちがコンプライアンスを掲げている。インターネットの時代なのに、イエスの時代にさかのぼったような寓話だ。

というわけで2019年は終わりを告げて、2020年という忙しそうな年がやってきた。なんといってもオリンピックだが、戦後75年に日本でオリンピックをやるからにはそれらしきものを世界に発信してほしい。