高齢化社会のバレンタインデー

さとうまき

年末と年始、一週間づつトルコとイラクにいってきた。

イラクでは、昨年の9月25日にクルド自治政府がクルド人の独立を問う住民投票を行ったことで、腹を立てたイラク中央政府が、厳しい制裁を課し、私たち日本人も退去しなくてはいけない羽目に。小児がんの子どもたちの支援は滞り、イラク政府とやり取りをし、何とかビザを出してもらった。気が付くと、チョコレートキャンペーンの広報がほとんどできていない。急遽、1月11日の深夜便で、イラクに飛び一週間の滞在で、イラクを取材して鎌田實の担当するニュースエブリィというTVでチョコの話を流してもらうことになった。

話はかわるが、正月に家族が集まった。父が90歳になり、腰が曲がってほとんど歩けない状況。姉と相談して、これからどう介護していくかねという話をしていた。

また、ちょうど、実家にいるときに、母が電話で話していたのだが、警察からの電話で、「振込み詐欺が多発しているので気を付けてください」と言ってきたらしい。警察を名乗った詐欺かもしれず、怪しいなと母に言うと、「私は絶対に騙されないわ」と自信たっぷりに答えた。しかし、姉は、「最近、母がぼけている」とこぼす。

ものすごい、ハードな行程だったのだが、もう、僕も結構な年でこういう移動はきついなと帰国した翌日、義理の兄を名乗る人物から電話が入り、「残念なお知らせです」という。「お姉さまが亡くなられました」
え? 詐欺じゃないのかと一瞬疑った。しかし、それは、残念なことに真実だった。58歳の姉が突然、うっ血性心不全で亡くなったのだ。一週間休みをとり、葬儀を済ませた。

久しぶりに、職場に復帰すると、チョコ募金の申し込みが芳しくなく、このままいくとバレンタインを過ぎてもチョコがかなり余ってしまうというのだ。確かに、イラク戦争から15年もたてば、忘れられてしまう。遠い過去の戦争。そして、僕たちも高齢化して、一緒にチョコ募金を広めてきた人たちが、亡くなっているし、介護などで動けなくなってしまっているのも現状なのだ。

暗澹たる気持ちで電車に乗っていると、病院から電話が入る。「お母様が、認知症と思われるので、検査に連れてきてください」というのだ。肝心の僕自身動きがとれなくなってきた。

先日、小室哲也が、「介護の大変さとか社会のこの時代のストレスとか、そういうことにこの10年で触れてきたのかなと思っているので、こういったことを発信することでこの日本も何かいい方向に、少しでも皆さんが幸せになる方向に動いてくれたらいいなと心から思っております」といって引退していった。今の僕の心境からして、彼の言葉は説得力があった。

チョコが大量に余ってしまうことの恐怖。確かにお金が集まらないと今までみたいな支援ができなくなること。しかし、僕の中では、それ以上につらいのは、「今年のチョコは花じゃないのね? マスクかけているし、点滴しているし。」と敬遠されること。以前紹介したように、絵を描いたSUSUが、「髪の毛が抜けて、皆が、憐みの目で自分をみた。死んでしまう子だわと差別された。」そんなつらい思いを知ってほしいからあえてチョコにした。そこが敬遠されるのが一番つらい。

間もなく2月9日から、14日までギャラリー日比谷で展示が始まる。2月8日のTVでも宣伝してくれることになった。

サカベコ(赤べコにサッカーのユニフォームをペイントしたもの)に福島ユナイテッドというサッカーチームの選手たちが顔を書いてくれることになり、チョコ募金を応援してくれることになった。急遽30個のサカベコに色を塗らなくてはならず、ふさぎ込んでいた両親に色塗りを頼むことにした。不思議なことに、悲しみに暮れていた両親が、一生懸命塗ってくれている。
「ほかにも手伝えることはないか?」とやる気満々だ。

もう、僕には大衆受けするようなチョコを作る自信はないけど、規模は小さくても、みんなが幸せになれるような社会をチョコ募金で作っていければと思う。

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