1993年をアップサイクルする

さとうまき

パレスチナの授業が始まった。
「先生今日は何をやるんですか?」
「中東問題の本質といえば、パレスチナ問題ですね!」
「その前に、そもそも、帝国主義の時代を知っておく必要がありますね。第一世界大戦が始まろうとしていたころのヨーロッパ、大英帝国、ゲルマン帝国、とかロシア帝国とか、オスマン帝国。ともかく帝国がついています。帝国主義とは、一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策であると書いてあります。今の世の中からしたら考えられますか?弱肉強食。戦争を否定するなんてありえないわけですよ」
 僕は生徒たちに講義を始めた。
「みなさん、中東問題の本質、パレスチナ問題は、そもそもイギリスの3枚舌外交が生んだんですよ」
といってお決まりの話をする。

普段パレスチナで活動するのに、バルフォア宣言がどうのなんて話は一言も聞いたことがなかった。そんなイギリスの約束なんてどっちでもよくて、つまりは「神が約束した」わけだから。

「さあ、みなさん、1993年、イスラエルの首相ラビンは言いました。アラファト議長と握手して『今、私は声を大にして、明確に言いたい。流血や涙はたくさんだ。復讐したいとは思わない。あなたたち(アラブ人)に対する憎しみがないことを描いている。私たちは 皆同じ人間として、家を建て、木を植えて、そして愛する。あなたたちに寄り添って生きていく。威厳を持ち、共感し、人として、自由人として、今日、平和にチャンスを与え続ける。私たち皆が、武器よ、さらばという日が来るように、ともに祈りましょう。私たちが作ってきた悲しい本に新しい章を書き加えたい。お互い認め合うこと 良き隣人としてふるまうこと、相互に尊敬し、理解し合う章です』。TVで中継を見ていた私は、とっても興奮しました。さあ、それからどうなっていったか」
授業を進めた。

5月10日、ハマスは、テルアビブ方向にロケット弾を撃ち込み、イスラエルは激しい空爆を開始。21日に停戦合意したが、ガザの住民の死者は232名、一方でイスラエル側は12名の死者を出した。

メディアでは、連日空爆の映像が流れていたが、今回は特にハマスのロケット弾から逃げ惑うイスラエル市民を日本人のレポーターが中継していたのが目に付いた。結構見事にロケット弾をアイアンドームという迎撃システムが打ち落としている。
生徒たちにも、毎日ニュースを見るようにと言っておいた。

  分裂する人々

世の中は民主主義が平和をもたらすという。そして選挙に行こうと呼びかける。ところがこれが曲者である。2006年のパレスチナ議会選挙では、主流派のファタハを抑えてハマスが過半数を押さえたのだった(132議席中74議席を獲得)が、イスラム原理主義政党ということで、アメリカやEUはテロ組織と断定、選挙結果を受け入れようとはしなかった。パレスチナ自治政府は、ハマスを排除。結局ハマスはガザ地区からファタハを武力でおいだして実行支配する形になり、西岸とガザで分裂してしまった。イスラエルの中のパレスチナ自治区の、さらにガザ・ハマス自治区のような形になっている。以来イスラエルはガザの経済制裁を課すことになった。

先月の5月には、なんと16年ぶりにパレスチナ議会選挙が行われるはずだったが、ファタハのアッバース大統領は延期を表明。表向きは、イスラエルの支配下にある東エルサレムの住民が選挙に参加できないとのことであったが、選挙をすれば、再びハマスが大多数を取る可能性が高かった。

イスラエルも、かつてはリクードと労働党の2大政党だったのに、どんどん分裂して、僕の知らない間に青白党とか、いろんな政党ができている。リクードは120議席中30しか取れなく、連立政権を作れずに苦労している。特にネタニヤウは収賄罪で起訴され公判中で、政権を失うと逮捕されるそうだ。そんな時に、戦争して強いところを見せれば一気に人気が高まる。

そこで、パレスチナ人の土地の収奪とか、聖地エルサレムのムスクへの立ち入り制限とかで、ハマスを怒らせる作戦に出たのかもしれない。

聖地をけがされることには人一倍敏感なハマスは、4000発ものロケット弾をテルアビブ方向に向けて発射した。戦時中はネタニヤウの人気が高まったが、停戦してしまったら、求心力は無くなり、どうもネタニヤウは権力の座から滑り落ちそうで、6月2日には、新しい内閣が決まりそうな気配だ。挙国一致内閣というが、マニフェストはバラバラで反ネタニヤウということだけでいっつぃしているそうだ。

首相になりそうな、ヤミーナ党のベネット氏は、パレスチナ国家を認めない右派。パレスチナ人にとっては厳しい季節が始まりそうだ。

ハマスの政治トップのハニヤ氏は、「我々はガザについては何も要求してない。我々がこの戦いに身を投じたのは聖地エルサレムを守るためだ。我々のカッサーム部隊はテルアビブにロケットを撃ち込んだ。敵はF16戦闘機で、我々の子供たちと女性たちを殺戮している」と発言しており、ガザの人たちが最も苦しんでいる経済封鎖の問題に触れていないのも気になる。

結局、一番の犠牲者はガザの人々だった。停戦は合意したものの、生活の改善は見られないとなると国際社会の援助や、ハマスを介した援助に頼るしかないのだろう。

  アップサイクル

生徒たちに話すために家の中の資料を探しまくっている。すると、2000年ごろのパレスチナとイスラエルの新聞も少し出てきた。「オスロ合意は何を残したのか?」という見出し。平和のための教育をイスラエルはこれからどうやっていくのか。そういった記事が目立つ。なんやかんや言いながら、ラビンの遺言を実践しようと努力していた時代だったようだ。今は、停戦はしても和平なんて言う雰囲気はみじんもない。私利私欲で走り続ける人びと。

ちょうど友人の画廊が アップサイクル展をやるので何か作品を出してほしいという。アップサイクルっていうのは、単なるリサイクルとは違い、創造的再利用によって作られたモノということらしい。そこで僕は、そういった新聞を張り付けて、引っ剥がして水牛の張り子を作った。

1993年、平和に向かって一つになろうという時代感。何回もリサイクルしたい。新しい平和が訪れるのならアップサイクルと言えるのだろう。

「さあ、みなさん、1993年のラビンの演説。これ試験に出しますから、暗記しておくように。イギリスの3枚舌? まあ、忘れてもいいです。今日の授業はおしまい。」


Upcycling アップサイクル展
創造的再利用によって作られたモノたち
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2021.6.1(火)-6.7(月)13:00-18:00
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