2018年のリアル

さとうまき

間もなく2018年に入る。その前に2017年のおさらい。

何といっても今年は、ISとの戦いの最終章をむかえたことだ。12月9日、イラクのアバディ首相は、「イラクは完全にISから解放された」と宣言。在日イラク大使館でも暮れに記帳が行われた。

そして、Rudawというクルドのニュースをネットで見ていると、ヤジディ教徒の少女が4名シリアのデリゾールで保護されたという。ISに性奴隷として強制結婚させられてたのだろう。6,417人がISに連れ去られ、3,248人が開放されたが、いまだに3000人以上が行方不明だという。

2014年の1月にアンバールがISに支配しされてから、3年間の戦いが終了した。といっても、2003年のイラク戦争以降、外務省は、一部地域をのぞいて退避勧告を出し続けている。たとえISがいなくなろうが、退避勧告は解除にはならないだろう。争いの構造は続いているのだ。

2014年の6月には、ISがモスルを制圧し、隣のアルビル県にも迫る勢いだった。現場で踏ん張っていた、榎本彰子と、田村叔子が、TVのインタビューで一生懸命支援を訴えていたが、ほとんどその部分はカットされ、「日本人女子2名が、危険な状態です!」的な報道になってしまった。イスラム国ってなに? みたいな関心は高まっていたが、逃げてきた人たちを支援しようというムーブメントをマスコミは作ろうとはしなかった。

ISは残忍だ。首切り? レイプ? ああそうだ。人間のやることじゃない。でも最初にやったのは、米軍だ。ただ、米軍は首切りは得意じゃなく、銃社会だけあって、銃を撃つのが得意だった。そして、レイプは、得意分野。首切りが得意なのは、日本軍だったのかもしれない。

何が違うのか? ISは、残虐さを売りにして、すべて見せた。彼らが流す映像も実にきれいに編集してありハイビジョンなのだ。しかし、待てよ。「衝撃と畏怖」作戦。これは、アメリカのイラク攻撃の作戦名。ともかく、相手に恐怖を与えて服従させるやり方は似たようなものだ。

イスラム国がまるで、ふっとわいてきたようなセンセーショナルなムーブメントのように語られるが、暴力の連鎖の結果であり、一方ヨーロッパやアメリカでは、構造的な差別や暴力の結果、新しい価値観を求める若者たちにパラダイスがあるかのように錯覚を起こさせた。そして、彼らが、イラクやシリアに向かっていったのだ。

僕には、いまだに、ISって何だったのかよくわからない。民主主義国家から独裁国家へ世界は逆行しているように思える時代。しかし、ISのリーダーっていったい誰なんだろう。バグダーディーというが、彼のスピーチとか最初だけしか出てこなかったし、本当に指導力がある人なのかもよくわからない。時たま、「イスラム国」ってバーチャルなゲームの世界の話かなと思ってしまう。あるいはTVのフェイクニュースなの?

いや、僕は、レイプされた女の子からもしっかりと話を聞いたし、戦闘に巻き込まれた、人々が血を流して病院に担ぎもまれたのも見ていた。そして、空爆されたがれきの中に散在する薬きょう。

僕は、今日本にいる。年末年始に日本にいるなんて、本当に、2011年の暮れ以来。どんな、年末がいいかなと思い、できるだけべたなのがいいと、90になった親父と80半ばの母と一緒に紅白を見た。最近のステージはバーチャルな映像とリアルな映像が行ったり来たりするらしい。シームレスMR(Mixed Reality:複合現実)という技術だそうだ。紅白歌合戦も、ものすごい進化していて、おそらく東京オリンピックに向けていろいろ動いているんだなと実感した。

さて2018年、こんな時代だからこそ、なおさらリアルな現場に身を置きたいと思う。というか、なんか新しい技術には、ついていけてない。プレステ4をせがんだ息子の世代がいろいろやってくれることに期待して、老体に鞭打ちながら現場に行ってきます。