イラク人という存在

さとうまき

少し古い話になるが、今年の新年のカウントダウンは、ヨルダンの首都、アンマンで迎えることになった。アンマンに着いたのは1月31日の夜。

いつもイラクへ送る薬を調達する薬局のおやじのところで、時間をつぶす。小さな薬局は、だらしなく薬が散らかっている。分かれた妻に育児は任せられないと男の子2人を引き取って育てている。薬局の2階の事務所では、子どもたちが家庭教師をつけて勉強していることが多い。彼はパレスチナ人だからなおさら子どもの教育は重視している。湾岸戦争でクウェートを追い出され、ヨルダンにたどり着いて何とかやってこれたのも、教育のおかげだと信じて疑わない。

「なにか、アンマンらしい、正月の迎え方ってないのかな」
私は、つまりは、写真をとって日本に報告するようなネタを探していたのだ。
「お望みならば、新年のパーティにお連れしましょう」
と言うわけで、早速、連れて行ってもらうことになったのだ。丘の上のホテルのバーでちょっとした乱痴気騒ぎをやっている。

かなり太目の肌をあらわにしたおねぇさんがお酌をしてくれる。薬屋のおやじは、イスラム教徒だったので私も遠慮して、酒は飲まずコーラを飲んだ。

アラブ人の男性は、太めの女性が好みだそうで、薬屋のおやじは、すっかり鼻の下を伸ばして喜んでいる。私はというとこの下品な空間にどうもなじめず、早く帰りたいなあとむずむずしていたのだ。私たちのテーブルでお酌をしてくれたのはイラク人の女性。最近は、宗派対立のあおりを受けて、逃げてくるイラク人は、ヨルダンには100万人近くになったそうだ。もうこれ以上は入ってこられたら困ると言うので、入国拒否されるよるイラク人も増えている。

「相席をおねがいしてもいいかしら」
イラクの女性が連れてきたのは、実のお姉さんとカップルである。ちょっと金持ちそうでこぎれいな格好をしているジェントルマンは、ジョセフといってキリスト教徒だった。
「キリスト教徒がイラクにいたんではいつ殺されてもおかしくないんだ」
そういって先週ヨルダンにやってきたという。
姉は、ずいぶんと前からヨルダンに住んでいて、縫製工場を任されているそうだ。私はてっきり、この二人はカップルかと思ったが、ジョゼフが、席をはずしたとたんに、薬局のおやじは、電話番号を交換して、うれしそうだった。

それから、数日して、「あれから、電話があったよ」とはしゃいでいた。そして、つい最近、薬屋にいくと、おやじがニヤニヤしている。
「実は、彼女の家に行ってきたんだ。いきなり、俺のことを愛している、というんだよ。考えても見てくれ、まだ、2回しかあっていないんだ。どうやってそんなことを信じられるかい? と問いただしたんだ。そしたらなんといったと思う?」
「へぇ?」
「あなたと結婚してもいいわよ、というのさ」

彼がいうには、イラクの女性は、男性につくすそうだ。彼は、ヨルダン人と結婚していたが、結局、コントロールできなくて、離婚していた。
「それで、その女性は、どんなところに住んでいるの」
「それが、とても狭くて汚いところだ」
「確か、縫製工場のマネージャーじゃなかったっけ」
「それが、工場はつぶれてしまって。妹も、昼間見ると、化粧もいまいちだし、洋服もみすぼらしかった。昔のヨルダンは、そんな仕打ちをイラク人にしたりはしなかったさ。困っている人がいれば助けるのがアラブ人なんだ」
「それで、じゃあ結婚するのか?」
「なんだって? 結婚だって? 確かにイラクの女性とは結婚したいよ。でも彼女には5歳の息子がいるのさ。俺には2人の息子がいるのに、いきなり3人目ができてしまうのはもううんざりだよ」
そういいながらも、薬屋のおやじはニヤニヤうれしそうである。

私はというと、結局新年の挨拶を写真つきで日本に報告するはずだったのに、あまりにも下品な写真しかなく、新年の挨拶ができなかった悔しさを思い出した。おやじが、またその下品な写真を見せてくれる。私は、イラク人女性と一緒に写りながらも、なんとも居心地の悪さに苦笑いしているのだが、写真ではニヤニヤとうれしそうに写っているのがこれまた悔しいのである。