さつき 二〇一七年八月 第四回

植松眞人

 私たちはずっと生まれ育った家を出て行くことになった。なぜ引っ越さなければならなくなったのか、ということについては、母に詳しく説明されてもよくわからなかった。ただ、父が「なんだか時代とうまくやっていけなくなったんだよ」とつぶやいて、なんとなくそれが私の腑に落ちた。
「父さんはずっと父さんなりに一生懸命に仕事をしてきたんだけれど、だんだん父さんの一生懸命を世の中が『鬱陶しいなあ』なんて思い始めたみたいに、気持ちが通じ合わなくなったんだ」と以前父は私に言ったことがある。あのときの気持ちが通じないと、いまの時代とうまくやっていけないは、きっと同じ話なんだろうと思う。そして、それを言うなら、母だって時代とうまくやっていけるタイプじゃないだろうし、遅かれ早かれ、母だって世の中と気持ちが通じ合わなくなるんだろうなと私は思うのだった。もちろん、父と母だけではなく、私も時代とはうまくやってはいけない気がする。学校で起こる嫌なことなんて、実は小さなことだから、世の中に出れば全部解決するさ、と担任の先生に言われたことがあったけれど、きっとそれは嘘だと私は思っている。
 学校は家族以外の『社会』の最小組織だし、その最小の組織の中で、なんとなくうまくいかない私は、学校の外の『社会』に出たって、うまくやっていけるはずがない。今と同じように人に嘘を吐かれてがっかりしてみたり、正直に生きたいのに小さな嘘を吐いてしまって落ち込んでみたりする日々を、これからもずっと送るのだろうと思う。きっと間違いなく。
 高校生になってまだ一年も経たないのに、私はうちの家族が格差社会の低い方に属しているのだということをはっきりと意識させられた。誕生日にスマホを買って!と無邪気に言ってはいけない層に属しているのだ、夏休みに温泉旅行に行こうよ!と笑いながら言ってはいけない層に属しているのだ、ということを強く意識している私には、これからも父と母の娘として、陰りのない表情で過ごせるかどうか自信がない。自信はないけれど、そうしなければならないのだ、と気持ちを引き締めているだけで、私の中から力の粒子が抜けていったような気がするのだった。
 七月の都議会議員選挙で圧勝した都民ファーストの会だけれど、あれだけ新人の議員たちが都民ファーストというだけで当選してしまったら、結局、わけのわからない人たちで東京都議会が満席になってしまうんじゃないの、と私は思うのだけれど、そんなことを学校で友達に話しても「政治の話はお断り」と言われてしまう。
 夏休みの登校日が昨日あったのだけれど、結局、誰ともまともな会話をせずに帰ってきた。ディズニーランドに行っただの、海外旅行にこれから行くだの、そんな話を聞いても楽しくもなんともない。人は自分が「いつか行けるかも」と思うことにしか興味を持てないのだと、改めて思うのだった。そして、今私の最大の関心事である、都民ファーストの会のことを話せないのなら、ストレスがたまるだけだと、私は登校日のホームルームとオリエンテーションが終わると、足早にちょっと壊れかけた家に向かった。
(つづく)