さつき 二〇一七年十月 第六回

植松眞人

母が見つけてきたのはとても小さな一戸建ての家だった。小さいけれど真っ青な屋根瓦の二階建てだった。一階は六畳間と台所とお風呂とトイレ。二階は四畳半の小さな部屋と押し入れとベランダがあるだけだった。それでも、母は気に入っている様子で、「ほら、一緒に散歩しよう」と私に言って、家の周りをぐるぐると歩いた。家の周りを歩くだけなら、百歩もいらない。五十歩ほどで一周できるほどだった。
「この家の屋根瓦の青いのが気に入ったのよ。曇っていても雨が降っていても、うちだけ青空みたいな感じがして」
母はそう言うと、しみじみとした顔をして、真っ青な屋根瓦を眺めた。私も母と同じように屋根を見た。空は真っ青に晴れていて、でも、これから住む家の屋根は、空よりも青いかもしれないと思うくらいに見事に青かった。

十月になってすぐに母のお気に入りだった家を出て、青い屋根の家に引っ越した。ほとんどの荷物を処分して、どうしても置いておかなければならないものだけを残しておくようにと言われて、私は子どものころに大好きだったぬいぐるみを半分に減らそうと頑張った。これは持って行く。これは処分する。そう呟きながら、大きなゴミ出し用のビニール袋にぬいぐるみを分けていった。持って行くぬいぐるみがビニール袋に三袋。処分するほうは三袋になった。
片付けがほとんど終わった自分の部屋の隅に置かれたぬいぐるみの入った六袋のビニール袋を眺めていると、持って行くものと処分するものとの境界線がとても曖昧で、本当はもう少し持って行けるんじゃないか、とか、あれを処分するなら、これだって処分した方がいいんじゃないか、とか。私は考えすぎて、それなら、とあえて声に出して、ぬいぐるみは全部処分することに決めた。
二階の四畳半は私の部屋になった。自分の部屋なんかいらいよ、と私は言ったのだが、母は「年頃の女の子なんだから、ちゃんと自分の部屋を持って、きちんと整理線頓しながら暮らすことを覚えたほうが良いのよ」と言ってくれた。そして、「でもあなたの部屋を通ってベランダに洗濯物を干しに行かないといけないから、プライバシーはあんまり守れないかもしれないけれど」と笑った。
私は前の家の半分ぐらいの広さになった自分の部屋を眺め、その部屋から見える窓の外の景色を眺めた。家の隣が古い平屋だったので、都会の二階なのに、意外に景色が広々としていた。
母も私と同じように、おそらくいろんな覚悟をして容赦なく荷物を選別した。あまり悩まず、次から次へと荷物を選別していく。そして、帰ってこない父の荷物は自分の荷物の倍くらいの速さで選別した。
荷物が驚くほど少なくなったおかげで、引っ越しは半日ほどですんだ。いらないものはゴミ処分場に運んでもらい、必要だけれどどうしても新しい家に入らない家電や場所を取る荷物は、母の実家へ運んだ。
テレビのニュースでは北朝鮮のえらい人と、アメリカの大統領がののしり合っていて、時々ミサイルが発射されたりしていた。
「ミサイルが撃ち込まれたりしている時に、引っ越ししてるなんて、なんか八月にテレビで見た戦争映画の疎開みたいだね」
私がそう言うと、母は笑った。
「そうだね。でも、いまだって戦争みたいなもんだよ」
母はそう言って少し引っ越し作業の手を止めた。
「昔の戦争は国と国との戦争だけど、こんな時に解散総選挙をやろうっていう首相がいるんだから、国と国だけじゃなくて、国と私たちも戦争してるみたいなもんだよ」
そう言って、小さく早く息を吐いて、母は立ち上がり、空になった段ボール箱を折りたたんだ。

父が帰ってきたのは私たちの疎開のような引っ越しが終わって、十月も半ばにさしかかったあたり。友だちたちがシルバーウィークのことを話題にしだした頃だった。
父がふいに帰ってきたのは、土曜日の遅い朝に、母と私が朝食を食べている時だった。帰ってくるなり父はこう言った。
「ねえ。シルバーウィークって僕らが子どもの頃、十一月の頭だったよね」
出て行った日に着ていた見慣れたシャツをきて、いつものジーンズで帰ってきた父は、やせてもいなかったし、太ってもいなかった。ただただ、いつも通りの父がずいぶん前からこの家で一緒に暮らしていたかのように現れて、シルバーウィークの話をし始めたのだった。
「そんな気がするわね。確か、十一月の文化の日のあたりだった気がするもの」
と、母も父と会うのが半月ぶり、という表情をおくびにも出さずに話し始めた。普通は朝出て行って、夕方に戻ってきた人に対しても「お帰りなさい」とか「今日はどうだったの」なんて聞くもんだろうと思ったのだが、妙なあうんの呼吸のような会話は、私の立場を少し追いやって、ただでさえ狭い一階の六畳間で片隅で私は父と母が話すシルバーウィークの話を聞いていた。
二人はひとしきり話すと、少し黙った。
「お帰り」と母が言うと、
「ただいま」と父が答えた。(つづく)