歩道橋の上からジャンプ

植松眞人

 大阪梅田に、JRと私鉄を結ぶ大きな歩道橋がある。歩道橋を上がると、そこにいるのは歩いている人だけではない。
 浅山は次の仕事先への訪問までの二十分ほどの時間をこの歩道橋の上で過ごそうと決めた。喫茶店に入るほどの時間もないし、かと言って早めに到着して喜ばれるクライアントでもない。
 四方八方から伸びてきた階段で支えられているように見える歩道橋は、中央に幼稚園の運動会が開けそうなくらいの広い部分があった。そこでは、ギターをかき鳴らして歌っている若い男と、輝くような笑顔で獲物を探している若くてきれいな宗教勧誘の女がいた。他にもただぼんやりとしている人たちがいて、浅山はそこに紛れて、ため息をつきながら空を眺めた。そして、買ったばかりの少年ジャンプを読み始めた。子どもの頃から読んでいる少年漫画誌だが、さすがに三十歳を越えたいま、ほとんど惰性で読んでいる気がする。
 ときおり、ジャンプを読み、ときおり、建設途中の馬鹿に背の高いビルを見上げていると、ドタバタと数名の男たちがやってきた。手には三脚やビデオカメラを抱えている。とは言ってもテレビのロケ隊という感じでもない。大学生くらいの無精髭を伸ばした男たちで、どうやら彼らは映画を撮っているらしい。カメラを三脚の上に載せると、打ち合わせを始めた。
 浅山がのぞき込むと、雑な絵コンテのようなものが見えて、それを真ん中に男たちはああでもないこうでもないと話し込んでいる。やがて、一人の男がスマホを取り出し、電話をかける。すると、誰かに通じて話し始める。
「どこにいる? わかった。いま見る」
 そういったかと思うと、スマホを持った男は、歩道橋の下をのぞき込む。下には汚いランニングシャツと股引をはいた男がいて、歩道橋の上の彼らに向かって手を振っている。「じゃ、あと三分ほどで本番いきますよ」
 その声で、ランニングシャツと股引の男は、歩道橋の下にあぐらをかく。彼の前のアスファルトには、チョークで『お金がありません。恵んでください」と書かれている。
 どうやら、歩道橋の下の男は、ホームレスの真似をして、道行く人にお金を恵んでもらう、という芝居をしているらしい。それを歩道橋の上からスタッフが、隠し撮りをしているのだった。
 浅山はなんだかその奇妙な光景を眺めていた。道行く人たちは撮影隊がカメラを向けているその先にアイドル歌手でもいるのではないかと、一瞬注目するのだが、ただのホームレスが歩道上でのたうち回っている姿を見ると、肩をすくめて歩き去って行く。
 都会は不思議だ。これだけの人がいるのに、ホームレスに注目する人はほとんどいない。むしろ、一瞬注視して、安全な距離を素早く測ると、見事にホームレスをよけながら歩いて行く。その様子をカメラはジッと捉えている。浅山はその見事な人の流れにため息をついた。そして、ふいにいらだたしくなって、手に持っていたジャンプをホームレスのほうへ投げつけた。
 分厚い漫画雑誌は鳥のようにページを広げて、くるくると前回りで回りながらホームレスの真ん前にバサリと落ちた。ホームレス役の男は驚いて、こちらを見たが、何が起こったのかはわからず、そのままホームレスの演技を続けた。周囲の歩行者たちは、ホームレスとの距離をさっきまでの倍以上に広げた。歩道橋の上から見ると、ホームレスの周囲だけ半円形に歩行者がいなくなり、アスファルトが見えていた。
 そのアスファルトには、最初見えていた『お金がありません。恵んでください』というチョークの文字が少し切れ切れになって見えた。その時だった。台本通りなのか、それともアドリブなのか、ホームレス役の男がその文字の上に身体を横たえて、うなり声を上げ始めた。まるで熱に苦しむ病人のように、うなり声をあげながら、路上でのたうち回るホームレスに、歩行者はさらに距離を取る。
 そこへ、目の見えない白杖を持った老人が通りかかった。老人は、かちかちと白杖でアスファルトを叩きながら、健常者と変わらない速さで歩いてくる。ホームレス役の男が、その速さにたじろいで道をあけると、白杖は一瞬、ホームレス役の男のすねのあたりを思いっきり叩いて、通り過ぎていった。
 ホームレス役の男は、痛さで歪んだ顔を歩道橋の上のカメラに向ける。