長い足と平べったい胸のこと(5)

植松眞人

 たぶん、アキちゃんはセイシロウに暴力をふるった。たぶん、きっと。銀杏並木の端っこで倒れてしばらくの間、わたしは少しぼんやりした後、いままでなんとも思っていなかったセイシロウのことを本気で嫌いになった。そして、本気で殴ってやろうかと思ったのだけれどわたしは手足が長いくせに腕力にはからっきし自信がない。そう思うと、なんだか泣けてきて、その涙はわたし自身のわたしに対する情けなさなのだけれど、きっとこの涙はみんなに誤解されると思ったら、いてもたってもいられなくなって、わたしは一人立ち上がりセイシロウもアキちゃんも放り出して走った。

 だから、そのあとどうなったのか正確にはなにも見ていない。見ていないけれど、教室に入ってからのセイシロウの大人しさとわたしとは一瞬たりとも視線を合わせないという覚悟のようなものを感じ取って、きっとアキちゃんはわたしの代わりにセイシロウを殴るか蹴るかしたのだと思う。

 でも、それはそれでセイシロウに本気で腹が立っているのはわたしで、アキちゃんにセイシロウを殴る資格があるのかと考えてしまってわたしはいつものように自己嫌悪に陥ってしまう。いつもこうだ。結局はわたしが勝手にはじめて、わたしが勝手にややこしくして、わたしが勝手に落ち込んでしまう。こうなると、あとでアキちゃんが話しかけてもセイシロウが話しかけてきても、一言でも口を聞くのが嫌になる。セイシロウから話しかけてくるのが筋だろうと思いつつ、話しかけられると困るから、こっちも視線を合わせない。休み時間だって、アキちゃんがこっちに来る前に走って廊下に出て、いつもは使わない南校舎の四階の奥のトイレに駆け込む。ここのトイレの一番端っこの個室には上の方に小さな窓があって、空が見える。わたしは嫌なことがあると、ときどきここに来て休憩時間のあいだ窓の外を眺めながらじっとしている事がある。

 空が青い。雲が見えないから、空だという気がしない。窓枠一杯に真っ青な色紙が貼ってあってもわからないくらいに青い。

 わたしは洋式便器に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げている。ただ真っ青な四角い窓を見上げながら、今朝の出来事を思い返しながら、セイシロウの顔とアキちゃんの顔を思い出し、そしてセイシロウが握っていた女の子の手の白さを思い出していた。セイシロウが力を入れると、女の子の手もセイシロウの手を握りかえした。女の子の手は小さく肌が白かった。意外に大きなセイシロウの手の中にすっぽりと収まってしまう女の子の手は握り占められている間に少しずつ赤くなり、その色の変化にわたしは魅せられしまっていた。アキちゃんはひと目もはばからず興奮していたし、わたしはそんなアキちゃんを見ながらたぶん赤面していた。

 窓の外の青空から届く光は、わたしを照らしわたしをものすごく冷静にした。空の青は女の子の手の赤さを映し、さっきまでわたしの中でふつふつと沸き上がっていたセイシロウへに怒りも、アキちゃんへの苛立ちも消え去り、ただただ女の子の手の形がきれいだったということばかりに思いを巡らせていた。(つづく)