頭の悪い私の哀しみ

植松眞人

 即身仏になりかけた修行僧のような顔だと、あなたを初めて見た時に私は思った。よく見ると愛嬌のある笑みを浮かべるし、女慣れしていないような慌てて話す様子も嫌いでは無かった。けれど、この人と身体を重ねることになるとは思わなかった。いや、もしかしたら、初めて会った半年ほど前のあの時に、そんなことを考えたかもしれないけれど、その時に私の気持ちは「セックスが下手そうだし、この顔に抱かれるのはいや」というもので、それは割とはっきりしたものだった。
 それなのに、私が修行僧のような立木君と付き合うようになったのは、ひとえに立木君の頭が良かったからだ。
 私たちは同じ大学の同級だけれど、立木君は実は四つ年上だ。彼は高校に上がるときに父親の仕事の関係でアメリカに移り住んだ。語学に関する能力が高かったのか、英語圏での生活はまったく問題が無かったという。
「語学のいいところは、覚えればいいってことだよ」
 立木君はそう言って笑うのだけれど、それが決して嫌味ではなく、立木君が言うと、確かにそうなんだろうな、と思う。
「でも、それなりに努力はしたんでしょ?」
 私が聞くと、立木君は笑って答えた。
「日本語を話す人とは徹底的に話さなかったことかな」
「親とも?」
「親とも」
「英語を習得するために?」
「英語を習得するために」
「とにかく、追い込まれないと人は何にも覚えないってことは、高校生になったらわかるじゃない」
 そう言われて、私はわかっていたっけ、と思ったのだが、それは口に出さずに、なるほど、と私は答えた。
 とにかく、立木君はアメリカに移り住んで一年もすると日常生活に困らない程度の英語を身につけたそうだ。そして、ある程度、英語に自信がついたところで立木君はアメリカ文学に目覚めたという。
「言葉を覚えたら、その言葉をさらに深めないとと思ったんだ。最初はテレビを見たり、映画を見たり、学校の友だちと積極的に話すという方法をとっていたんだけれど、結局、今の芸術とか今の人たちは、僕らと同じ程度に軽薄で僕らと同じ程度に賢いんだ。学ぶなら、もっと賢い人から学ばなくてはと考えて僕は学校の近くにあった公立の大きな図書館に通うようになったんだ」
 自分の周りには学ぶべき賢い人はいなかった、という高校生にしては不遜な考えは、いまの立木君を嫌いだという人たちが、立木君を嫌う部分とまったく同じで、立木君は高校生のころから、すでにちょっと嫌な奴として確立されていたのだなあと改めて思うのだった。
 でも、立木君のそんな不遜なところにゾクゾクする。立木君が周囲を不遜な態度で見ていることにもゾクゾクするし、その対象が私だったりするとさらにゾクゾクする。ただ、それが不遜に扱われている事に対するものなのか、いつか立木君が足元をすくわれて頭でも打つんじゃないだろうか、ということに対するゾクゾクなのかがわからない。どちらにしても、私は立木君に惹かれてしまい、後戻りすることができなくなった。
「付き合って」
 私がそういったときに、立木君は、
「どうして?」
 と私に聞いた。
「頭がいいから」
 と私が応えると
「頭、いいかな」
 と、立木君はちょっと困った顔をした。
 その困った顔に、私は少しがっかりした。
「立木君」
「なに?」
「立木君は困った顔しちゃだめだよ」
「困った顔?」
「いま、してたよ、困った顔」
「してたかな、困った顔」
「してたよ、困った顔」
 そう言われて、立木君は生真面目に自分のほんの少し前の顔と、その顔をさせてしまった自分の心持ちについて思い出しているようだった。そして、ふいに何かに思い至ったようだった。
「付き合うって、どういうことなんだろうって、そこが分からなくて困ったんだと思う」
 立木君がそう言う。
「困っちゃだめだよ」
「困っちゃだめなの?」
「だって、立木君、頭良いんでしょ。知らないことがあって困っちゃだめなんだよ。知らないことがあっても、知ってるふりして乗り越えないと」
「知ってるふりか」
「得意でしょ」
「日本に帰ってきてから、得意になった」
「日本に帰ってから?」
「そう。日本に帰ってから」
「アメリカでは知ってるふりしなくていいの」
「しなくていい」
「どうしてなのかしら」
「どうしてだろう」
 どうしてなのかを考えている立木君の顔を見ながら、知っているふりをしなくていいアメリカという国はつまらないなあと思った。
「ねえ、日本のほうが面白くない?」
「うん、日本のほうが面白い」
 立木君は笑った。 (了)