さつき(2)

植松眞人

 私の生まれ月を大切にしているようなないがしろにしているような不思議な両親だが、間違いなく私のことが大好きだ。家族愛とか言い出すと大仰すぎて気恥ずかしくなるが、まさに気恥ずかしくなるくらいに確実に両親は私を好きでいてくれることはわかる。
 その割には毎年私の誕生日には誰もなにも言ってくれなくて、二日後三日後くらいに、ふいに「さっちゃん、お誕生日おめでとう」と父か母のどちらかが思い出して叫ぶように言う。小学生の低学年の頃は、これはわざとなのではないかと思っていた。忘れたふりをして私を驚かしておいて、私ががっかりした頃に声をかけて再び驚かせる。二重のドッキリなんだと私は思っていた。しかし、小学校も終わりの頃になると、ただただ両親が粗忽者であるということが私にもはっきりとわかるようになったのだった。なにしろ、二人の遺伝子をしっかりと引き継いでいるのだから。のんきな、というのか、ぼんやりしている、というのか。そんな気質を自覚するようになって、一人っ子の私は真面目に「几帳面にならなければ」と自分を律するようになったのだった。
 高校の神谷先生が言うには、それが間違いの始まりだったな、だそうだ。
「それが間違いの始まりだったな。畑中の良さはのんきなとこなんだよ。それなのに、受け答えはやたらとハキハキしていて、何を頼んでも初動がものすごくいいんだよ」
「しょどうがいい」
 私は「しょどう」という言葉がわからなくても問い返した。
「最初の動きで、初動。たとえばさ、今度、中庭の花壇をきれいにしなきゃいけないから、チームを組んで誰か担当してくれないか、という話をすると、いの一番に『はいっ!』って手を挙げるだろ」
「はいっ」
「うん、返事がよろしい。そんなふうに良い返事をしてくれるわけだ。そして、『じゃあ、私が何人かの声をかけて、チームを作っておきます』と言ってくれる。で、ここまでが初動だよ。初動はとてもいい」
「はい」
「でも、その後、実はのんびりしてるから、一人か二人に声をかけて断られたりすると、そこで全部ストップしちゃうんだよね。で、しかも、ストップしちゃってることも忘れて、『おい、畑中、あれどうなった?』って聞くと、お前、飛び上がって驚くだろ」
「はい…」
 と、私の声をだんだんと小さくなっていくわけだけれども、神谷先生が言うには、最初からぼんやりした顔をしてくれれば、無駄な負荷をかけなくてもよくなるし、お前ももう少し気楽に高校生活を楽しめるのに、ということらしい。
 でも、いまさらそんなことを言われても、私にはどうしようもない。一人っ子だけど、なんとなくのんきな両親のおかげで長女のような感覚で育ってしまったし、そこそこのコピーライターだった父は、そこそこだったおかげで飛び抜けた仕事にありつくこともなく、かといって、どうしようもない仕事に手を付ける気持ちにもなれずに、勤めていた広告代理店を辞めてしまっていた。最初のころはフリーランスで細かな仕事を拾っていたのだけれど、「そこそこのコピーライターは、そこそこ年齢がいくと仕事が減っていくのさ」とあきらめ顔だ。まあ、諦められてもまだまだ物入りな娘としては黙っていられないので、お父さんはそこそこじゃないよ、たいしたもんだよ、なんて父を励ましたりしているのだけれど、当然のごとくあまり効果はない。
 というわけで、いまの畑中家を支えているのは母のデザイン仕事だ。もともと母は私が生まれてからは自宅でやれるデザイン仕事を請け負っていて、人見知りの分だけ誠実に丁寧に仕事をこなすと言うことで意外に仕事が途切れない。ただ、母が言うには、仕事は途切れないんだけど文句も言わずにやってくれると思われているみたいで単価が低いのよね、ということになる。郊外の特急は止まらないけれど通勤快速は止まる程度の街で生まれ育った母は単価の安い仕事が続いても、それはそれなりにありがたいという気持ちで仕事に取り組むことができる人だった。
 去年の年末に私と父と母による家族会議が開かれて、父は厳粛な面持ちで私の目をまっすぐに見てこう言った。
「さつき、君は六月生まれだけれど、さつきという名前を持った、とても奥深く勉強のできる子だ。だから、是非とも勉強をさらに頑張って公立の高校に受かってください」
 もともと、家から一番近い県立高校を受験しようと思っていた私にとっては今更な話なのだが、父と母はどうあっても私に高校くらいは卒業してほしいということらしい。しかし、私立だと学費の負担が重すぎてそれが実現できないということなのだった。
 私は話し終わって厳粛などどこに行ったのかと思うほどにホッとした顔をしている父に、奨学金の話をした。私は私で家庭の事情を察していたので、中学の担任の先生と相談をして奨学金制度があるということを知っている。先生にも、申し込むことになると思いますと伝えて、用紙もすでにもらっている。だから、できる限り公立高校を目指すし、どちらに行った場合も奨学金をもらって父さんと母さんには負担をかけないようにするから、と伝えた。それを聞いて、ホッとした顔をしていた父は、今度は涙をこらえる顔になったので、そういうことで頑張るわ、と自分の部屋に引き上げたのだった。
 早い話が、わが畑中家は昨日NHKのテレビで特集が組まれていた『増え続ける新たな貧困層』に当たるらしい。毎日、ご飯が食べられないほどでもない。かといって、何もかも安心して暮らせるほどではない。もし、今日、母が病気で倒れたら、いや倒れないまでも、母の使っているiMacの調子が悪くなって二三日仕事ができなくなったら、もしかしたらそれだけで家賃の支払いが滞るかもしれないほどには貧困なのかもしれない。そして、そう思うと、なんだかみぞおちのあたりがキュッと締め付けられるような気持ちになるのだけれど、負けるわけにはいかない、と私は自分の部屋のテレビのリモコンを知らず知らず力一杯握りしめながら思うのだった。
 そんな気持ちはいま目の前の神谷先生に対しても抱いていて、決して先生に同情されるような人間にはならないぞと、面談中に握っていた鉛筆が小さくギリギリと折れる寸前の音を立てたような気がしたので、先生が気付かないうちにそっと鉛筆を握りしめていた力を抜いた。(つづく)