更地の男

植松眞人

 私の実家は兵庫県伊丹市にある。この町は大阪からもJRと私鉄が乗り入れていて、大阪で働く人たちのホームタウンとして認知されている。
 その昔は城があり、城下町として酒造りと稲作で名を馳せた時期もあった。嘘のように景気が膨らんだ時期には大きなマンションがいくつも建ち、市内にはいわゆる箱物が数多く建てられた。しかし、それも過去の話である。景気が低迷し、大きな震災があり、建てられた箱物にも侘しい影が差しているように見える。それでもまだ駅前はいい。大阪まで電車に乗ってしまえば四十分分もあれば到着する。若者が夜遅くに飲み歩いていたりもするし、それなりに繁華な場所もある。しかし、私の実家へはバスに十五分、二十分と乗らなければならないのだ。通勤ラッシュの時間はともかく、それ以外はバスの数も少なく、夜は十一時前にはバスはなくなってしまう。バスの乗客のほとんどは老人だし、最近できたばかりの巨大なショッピングモールもいつまで保つのかわからないほど客が少ない。
 私の実家は三十戸程度の小さな建売住宅が密集している中にある。一時に建てられた集合住宅は、最初は同じような家ばかりだったのだろうが、一戸建て替え、一戸建て替えとだんだん当初の家々とは様子が変化している。特に古い木造住宅は震災で少しがたが来て、それを機会に建て替えられた家が多い。私の実家もそんな一つで、震災のタイミングでその場所にあった土地を買い、家を建てた。いわば、この場所では新参者なのであった。
 私自身は家族を持ち、現在は東京に住んでいる。ただ、仕事の都合で最近は関西に来ることがあり、世知辛い仕事の関係でホテルをとることもできずに、実家で寝泊まりすることが多くなった。自分が家を出たときにも、実家は伊丹にあったのだが、震災を機に同じ市内で場所を移しているので、現在の実家は私自身が子供の頃に住んでいた場所でもなければ家でもない。なんだか、馴染みのない家で寝泊まりしているような居心地の悪さを感じているのだった。
 寝泊まりしている部屋は二階で窓からは向かいの家々が見える。周囲に高い建物がないので見晴らしがいい。そう思いながら、でも違和感を感じ、私はもう一度窓の外を眺めた。違和感の原因はすぐにわかった。斜め向かいの家がきれいさっぱりなくなっているのだった。父が亡くなり、この家で一人暮らしている老いた母に聞けば、斜め向かいの家は売られたのだという。
「木造の古い家やから、家自体は二束三文やったらしいけどな。そやから、業者が更地にして売るらしいわ」
 確か、その家には五十がらみの私と同い年くらいの夫婦がいて、その父親らしき老人が三人で住んでいた。老人が亡くなったのは三年ほど前で、以降、子供のない夫婦は斜め向かいの家で慎ましく暮らしている、という印象を持っていた。他人の家のことなので、慎ましいかどうかは本当のところよくわからない。よくはわからないけれど、家の周囲にその家の奥さんが植えている小さな鉢植えの花の地味さや、時折窓から見えるカーテンの色、そして、乗っている軽乗用車の年季の入っている具合から、慎ましく生きるというのはこういうことなのではないか、と思わせる暮らしの匂いのようなものがあった。
 母からそんな話を聞いてから、二階で仕事をする時にはちらちらと、斜め向かいの家があった場所を眺めてみたりするのだが、時折、業者らしき若いスーツ姿の男が客を引き連れてきたりするのだった。しかし、あまり引き合いがないのか、客もあまり出入りすることはなく業者もほとんどそこにいることはなかった。
 それから二週間が経った。斜め向かいの家があった更地は、そのまま売れてはいなかった。『売地』と書かれた立て看板が立っているだけで、ひっそりとした時間が過ぎていた。私は東京に戻ったり、また関西に来たり、一ヵ月ほど、斜め向かいの家のことなどすっかり忘れて過ごしていた。進んだり後退したりする商談のなかで、相手の卑劣が見え隠れして、それに呼応するように私自身の底の浅さも露呈するような、そんな大阪での一日を過ごした後、私は伊丹の実家へと向かった。とっくに路線バスは終わっていて、駅前からタクシーに乗った。運転手は話し好きだったが、私はタクシーのシートに座ったとたんにひどく疲れていることを自覚してしまい、運転手の問わず語りに適当に相づちを打っている間に、実家に到着した。タクシーを実家の前で降り、母が起き出してこないように気をつけながら、ゆっくりと門扉を開けて、静かにドアにキーを差して回す。そのとき、ふと気になった私は斜め向かいの家を振り返った。両隣の家の窓から光が漏れているからか、その挟まれた更地だけが、妙に暗く、私が見ることを拒んでいるかのようだった。
 玄関脇の母が寝ている部屋の気配から、母が起きていらしいとは思ったが、母も私も互いに相手に気を遣わせないように黙ったままでいる。私はそのまま静かに足音を忍ばせて、二階にあがり、すでに私の部屋のようになっている通りに面した部屋へと入る。
 そのまま私は窓際へ行き、さっき真っ暗な闇に見えた斜め向かいの家があった更地に目をこらす。やっぱり、同じように暗闇に見えるのだが、今度は更地の真ん中に、淡くスポットライトが当たっているかのような場所があることに気づく。隣の家の明かりが届いているわけでもなく、街灯が当たっているわけでもないのに、なんとなく、そこだけに淡く淡く光が差していた。そして、よく見ると、その淡い光の中に、男が立っているのが見えた。男は、更地になる前に、つまり、取り壊された家に住んでいた私と同年代の亭主のように見えた。はっきりと顔は判らないのだが、以前見かけて、挨拶をしたときの立ち姿に似ているような気がした。男は、更地の真ん中に立ちすくんで、頭をうなだれたように自分の足下を見ているようだった。男が何をしているのか、そして、確かにそこに住んでいた男なのか、私は確かめたくて目をこらした。そのとき、男がこっちを見る、という予感がして、私はカーテンの陰に隠れた。
 私はそのまましばらくの間じっとしていたのだが、やがてその日の疲れを思い出し、風呂に入ると寝てしまった。
 翌日、母に起こされて寝覚めた時には、東京に帰る新幹線に間に合うかどうかというギリギリの時間だった。私は慌てて身支度を調えると、母が用意していたトーストとコーヒーを飲み、実家を出た。出かけに、母が言う。
「梶原さんとこ、土地が売れて、来週から工事らしいわ」
 最初、何のことだかわからずに、「梶原さんて誰?」と聞き返したのだが、母の返事を待たずに、そうか斜め向かいにあった家は梶原さんの家だったと思い出した。私は慌てていたのにも関わらず、実家を出るとバス停とは逆方向になる斜め向かいの更地のほうへと向かった。それは、何かを確かめようというのではなく、バスに乗る前に見ておかなくてはという妙な気持ちからだった。朝の光の中で、更地は夜見たときよりも広く明るく見えた。私は迷うことなく、低いロープの柵を越えて、更地の中に入る。その真ん中あたりまで来ると、じっとそこに佇んでいた梶原さんを思った。昨日ははっきりとは見えなかったが、あれは梶原さんだったのだと思う。本当に梶原さんが来ていたのか、その思いだけがここにあったのかはわからない。しかし、母が「梶原」という名前を口にした途端に、昨日の男の影は私の中ではっきりとした質量を持ち、梶原さんという存在になったのである。(了)