水曜日の創作クラス(2)

植松眞人

 この町の公民館は、とても古い建物で五階建てなのにエレベータがない。階段も一段一段が高く、注意していないと足を踏み外してしまいそうだ。
 一階と二階は吹き抜けになっていて、広めのスペースがある。そこが集会などに使われていて「ホール」と呼ばれている。そんなに立派なものではないのだが、小さな講演会や踊りの発表会などをやろうと思えばやれる程度の広さだ。
 ホールが吹き抜けになっているので、実質二階がなく、小部屋を使うためにはいきなり三階分の高さを上がらなければならない。年配者の利用が多いので、簡易のモノでも良いからエレベータやエスカレータを後付けできないか、という話は毎年のように持ち上がる。ただ、建物が古すぎて頑強なので融通が利かずなかなか簡単ではないのだった。
 それに加えて、集まってくる年配者自身が「健康のためにはこのくらい」と愚痴も言わずに利用しているのでいつの間にか立ち消えてしまうのである。それでも、休憩のために踊り場ごとに椅子が置いてあったり、お茶のポットが置いてあったりするのはほほえましい。
 私が高橋に誘われて、初めて水曜日のクラスに参加した日は雨が降っていた。二階と三階の間にある踊り場で、腰を下ろして休憩していたお婆さんに会釈をして四階まで上る。それほど長くはない廊下は薄暗く、その突き当たりに灯りが漏れていて、使用されている部屋がそこにあることがわかった。
 これは後々知ることになったのだが、この公民館を夜の六時以降に利用する人はほとんどいないのだった。入り口にある管理室に人は詰めてはいるが、夕食の時間にはどの利用者も出て行くばかりで、新たにやってくる者はほとんどいない。水曜日のクラスが終わり八時過ぎに管理室の前を通ると、担当者が椅子に座ったままウトウトと舟を漕いでいることもあった。
 初めての水曜日のクラス。引き戸を開けると、中は煌々とした今時のLEDの光で満たされていた。集まっていたのは全部で五人。小さなテーブルを一つ真ん中に置いて、その周囲に椅子を円形に並べて五人は座っていた。テーブルの上に置かれていたのは、夏みかんほどの大きなオレンジだった。
 私は入室したとき、五人はじっとオレンジを見つめていた。しかし、私が入室すると同時に、全員が私の方に笑顔と会釈をよこしたのだった。そして、私が会釈を返すと、再び五人は視線をオレンジに戻した。それが瞬時のことだったので、私はしばらく入り口のところにたちずさんでいたのだった。
「さあ、もうそろそろいいでしょう」
 高橋の声にみんなが柔和な顔に戻り、それぞれに目の前のオレンジについて話し出した。私がオレンジだと思っていたのは、どうやら紙粘土で作った大きな温州みかんらしい。作者であるおそらく七十代らしき男性が自分でそう話した。
「私は柑橘類が好きで。久しぶりに紙粘土で何か作ろうと思ったときに、目の前にあった温州みかんを作ってみたんですよ」
 男性は言う。
「すばらしい」と高橋が答える。
「なぜ、大きくこしらえたんですか」と別の参加者が聞く。
「そのままのサイズはつまらないとおもいましてね。しかもほら、私が柑橘類が好きなもんだから、いかにもつくりものって感じでつくらないと、食べたくなっちゃうと困るでしょう」
 男性はそう答えると大きく笑った。男性が笑うとそれをきっかけに五人全員が笑い、笑いが引けると同時に一瞬の静寂が訪れた。その絶妙のタイミングで高橋が私を呼ぶ。
「この方が、今日から参加してくださることになった三宅さんです」
 高橋の紹介に私が自己紹介すると、参加者が口々に「よろしく」と声をかけてくれた。
「あなたはどう思いますか?」
 高橋の隣に座っていた品の良い五十代くらいに見える小柄で柔和な表情をした女性が私に聞く。
「どう、というと」
「このおみかんですよ」
「ああ、このみかんですね」
 私が質問の意味に気づくとみんなが微笑みながら、私の答えを待っていた。
「とてもいいと思います。こういう創作にはあまり詳しくないのですが、なんだかみずみずしくて食べたくなるような出来映えだと思いました」
 私は少し緊張しながら言う。昔から自分の意見を言うのは苦手だったし、ましてやこういう芸術というのだろうかアート系というのだろうか。そういうものに対して何を言えばいいのかわからないのだ。
「良いご意見ですね」
 私に聞いた女性が答えた。
「良い、意見ですか?」
 私が聞き返すと女性がとても嬉しそうに言う。
「良い意見ですよ。素直でわかりやすくて。さすが高橋さんのお知り合いだわ」
「本当に。あなたなら、きっとこのクラスが気に入ると思いますよ」
「いや、本当にそうですね」
 と、みんなが口々に言い出して、まだ状況がよくつかめていない私はとても居心地が悪くなってしまう。そんな私に、今度は高橋が助け船を出す。
「さあ、みなさん、そのくらいで。三宅さんは今日が初めてなんですから、あんまりいっぺんの話すと逃げ出してしまいますよ」
 高橋のそのひと言で、みんなはまた優しく笑う。ふと思い出したように高橋は自分の隣に椅子をもう一つ持ってきて、そこに座るように私に促した。私は改めてその場にいた五人に軽く会釈をして椅子に座る。
「では、もう一度、立花さんの作品『みかん』を見てみましょうか」
 高橋の提案にみんなが一斉にうなずく。私は五人の真似をして、目の前のテーブルに置かれた大きな温州みかんを眺めるのだった。
 私は大きなみかんを目の前に、それをじっと見つめる五人の男女の真剣な眼差しに滑稽なものを感じてしまう。
 素人が紙粘土で作った大きなみかんは、そこそこ巧くは出来ていても、やはりじっと見ればあちこちに粗雑なところがあり、それをじっと「鑑賞」するほどのものなのかと思えてしまったからだ。
 その気配を察したのだろうか。さっき、私の感想を褒めてくれたご婦人がそっと私のほうに口元を近づける。先ほどまでの柔和な表情はなりを潜めて、強い視線で私を見つめながら、「人様の作品を馬鹿にすることだけは許されません。それがこのクラスの一番大切なルールです」と低い声でささやいた。その低いけれど明確な口調に私はたじろぎ、周囲のことも忘れてそのご婦人をまじまじと見つめてしまったのだった。(続く)