水曜日の創作クラス(3)

植松眞人

 夏みかんほどの大きさに作られた紙粘土のみかんは、見つめれば見つめるほど素人くさい作品だった。小学校、中学校の美術の時間以来、絵など描いたことがない私が、見よう見まねで作ったとしても、もう少しマシに作れるかもしれない。まじまじと見つめると、本気でそう思えるほどに粗雑な作りだった。
 ところどころに色が塗れていないところがあったり、形がいびつになっていたり、紙粘土が毛羽立って見えるところもあった。正直、私以外の五人の参加者がなにを食い入るように見つめているのか、まったくわからなかった。しかし、一番わからないのは作った本人の気持ちだ。この程度の作り物をみんなにじっと見られて恥ずかしくないのだろうか。
 私は紙粘土のみかんを見るふりをしながら、それを作った七十代らしき男性を盗み見た。男はときどき、作品を見守っている参加者たちの表情に視線を送りながら、自分でもみかんをじっと見つめ続けていた。
 しばらく黙っていた作者以外の四人だが、高橋がふと緊張を緩めて、ゆっくりを息を吐いたところで、みんながもう一度席に座り直したり、作品から視線を外したりした。空気が緩み、各々が今度は雑談を交わすように、目の前の作品について軽く言葉を交わし合った。
「大きなみかんという発想が面白いわ」
「そうそう。大きいとか小さいとかって、やっぱりかわいく見えるし」
「張りぼてっぽい感じもいいのかもしれないなあ」
「それは言えるかも」
「色は軽いけれど、そこがまた味と言えば味ですしね」
 そんな会話がしばらく続いた後、高橋が軽く手を二度叩いた。その手を叩く音を合図に、みんなが口を閉じて、再び目の前の作品に集中した。しかし、少し様子が変わった。大きなみかんに視線は送っているが、先ほどまでの何かを見て取ってやろう、という雰囲気ではなかった。それはなんというか型だった。型として、作品を囲んでいる。そして、何かを待っているという感じだった。
 やがて、作者も含めた全員が待っていたものがわかった。高橋だった。再び作品に視線を送り、みんなが型を作って数分たった頃だろうか。高橋がさっきまでよりも少し大きな声で話した。
「作りが甘いと思います」
 すると、型を作っていた高橋以外の参加者が一斉にうなずいた。大きな機械の一部が動いたような感じだった。
「なるほど、作りが甘い、か。だから、全体にぼんやりとして見えるのね」
「悪くはないけれど、もう少し完成度を上げないと駄目だ、ということか」
 高橋以外の他の参加者がそんなことを言い始める。最初から、言うことが決まっていたかのような発言だった。
「ただ、その甘さがみかんへの親しみを高めていると思います」
 高橋がそう続ける。
 すると、再び参加者が一斉にうなずく。
「親しみ……。そうね。親しみがあるわね」
「確かに、完璧に作り上げてしまうと、冷たい感じになるかもしれない」
 参加者たちは、高橋の発言を吟味することはなく、高橋の発言を認め、何度もうなずく。私は改めて、張りぼてのみかんをじっと見つめる。
 しばらくすると、高橋はこれが締めくくりだ、というような雰囲気で、こう言った。
「水曜日のクラスとしては合格です」
 高橋がそう言うと、全員が安堵のため息を吐いて拍手をした。みんなで集まり、みんなで意見を交わし合っているように見えて、この場は高橋が仕切っている。それがいつものことなのか、今日に限ったことなのかはわからない。おそらく、いつものことなのだろうと私は思った。参加者全員が、高橋のひと言で拍手をしている。

 帰り道。出席者たちと雑談している高橋を置いて、私は先に公民館を後にした。合格だという声を聞いて、いまにも泣き出さんばかりに喜んでいる作者である男性の表情が思い出された。私はトイレに行くふりをして部屋を出ると、そのまま足早に公民館を後にしたのだった。しかし、公民館を出て五分ほどで高橋に追いつかれた。隣に並んだのが高橋だとわかった途端に、私は歩みを緩めた。
「いかがでしたか?」
 高橋はしばらく並んで歩き、息を整えてから声をかけてきた。どう答えていいのかわからずに、曖昧な笑みを浮かべている私に高橋は怪訝な顔をする。
「あのみかんも素晴らしかったでしょう?毎回誰かが何かを作ってきているんです。時には二つ、三つと作品が並ぶことだってあるんですよ」
 高橋は嬉しそうに話す。
「たいした作品じゃないかもしれない。でも、ほら、みんなに褒められることで、お年寄りは生きる勇気を手に入れられるし、若い人も自信を持つじゃないですか」
 高橋は話しながら徐々に声が大きくなっている。
「来週は、きっとあなたに話しかけていた女性がいたでしょう。あの人がドライフラワーの作品を持ってくると思いますよ」
「今日の作品の作者は、あれでもずいぶん良くなったんですよ。それを知っているから、みんなも心から褒めることができるんですよ」
「最初は、人の作品を見ているだけでもいいんです。作ろう、という気持ちになったら、何か作ればいいじゃないですか。絵でもいいし、今日みたいな立体物でもいいし、ほんと、小さなイラストでも粘土細工でもいいんですよ」
 高橋の終わらない話を聞きながら、私はこの町へ引っ越してきてから今までの半年を考えていた。そして、この町へ越してくる前の数年間を考えていた。
 私はどうしてもうまく泳げない組織を抜けて、まったく新しい環境で、妻や子と気持ちよく生きたかっただけなのだ。時間通りに起き、時間通りに会社に行き、働き、考え、笑い、時には泣き、怒り、それでも、愛する家族と町で生きていければいいと思い、ここに来たのだった。
 妻の戸惑いを押しのけてまで、地域のボランティアに参加したのも、この町を早く自分の町にしたかったからだ。
 高橋の声は、そんな私の描いた未来に、ひとつひとつ奇妙な色の絵の具を塗りたくって台無しにしているかのようだ。
「次の水曜日は、いつも一緒に地域の清掃をしている方も来る予定なんですよ」
 その言葉を聞いたときに、私はふと思い当たった。地域のボランティアに参加するまでは良かったのかもしれない、と。私の失敗はそんなボランティアの人たちの中でいちばん人当たりが良さそうで、いろんな人と仲良くなるきっかけになってくれそうな高橋を選んでしまったことなのではないかと思ったのだった。
 そうだ。自然にこうなったのではない。私が高橋を選んでしまったのだ。ほんの少し楽をしようとして罰が当たったのだ。
 私はすべてを賭けてこの町に越してきたはずなのに、肝心なところで楽をしようとしてしまった。それが失敗だったのだ。
 次の水曜日あたり、私はこの町を出るための動きを始めているだろう。私ははっきりとそんな自分をイメージしていた。今夜のうちに妻に話し、妻がどんなに困惑しようと、この町を出るということを納得させなければならない。仕事のことなんてなんとでもなる。とにかく、この町を出て新しい町へと向かわなければ。私は同期の高鳴りを感じながら、少しずつ歩みを速めて、高橋との距離を開けた。
 そして、次の町では決して楽などせず、じっくりと町の人たちと向き合って、ひとつひとつ事柄をクリアしながら生きていくのだ。私はそんなことを考えながら歩いた。高橋との距離が少しずつ離れていく。最初のうち、懸命に付いてこようとしていた高橋の足音だが、やがて諦めたのだろう、足音が離れ始めた。
 明日から、私は次の町を探すのだろう。私の部屋にある大判の地図帳を広げて、次の町にあたりをつけよう。そして、必要なら、いろんな人に話を聞いてみよう。高橋とこの町を出るまで鉢合わせしないように用心しながら。(了)