釣り堀の端 その一

植松眞人

 自転車でこの町を走っていると、自分が生まれ育った町に似ているなあといつも耕助は思う。それほど大きな家があるわけではない。かといって、町家が軒を連ねている京都のような風情があるわけでもない。なんの特徴もないごく普通の家々が淡々と並び、互いが互いの家よりも目立たないようにと考えて建てられたかのような慎ましさだ。時々、自転車で走りながら、そこらじゅうのブロック塀を蹴り倒して化けの皮を剥がしたい衝動に駆られる。
 耕助がこの町にやってきたのは、ここに母方の祖父が亡くなったからだ。どんな事情なのかまったく聞かされていないのだが、祖父は遺言状にこう書いたのだった。
『経営してきた釣り堀については、孫の耕助にすべてを相続する』
 祖父にあったこともないし、母からも聞いたことがない。そもそも、母とだって年に一度か二度会うか会わないかだ。祖父が亡くなって初めて知ったのだが、祖父は母を始めとする子どもたちから疎まれ、祖母と死に別れた後、すぐに失踪してしまったらしい。そして、長らく行方不明だったのだが、五人いた子どもたちは誰一人として、祖父を探そうとは思わなかったという。
 耕助は何の迷いもなく祖父の生業だった釣り堀を継ぐことにした。三十を過ぎてから結婚したが、どうしても仕事に打ち込めず、耕助は仕事を辞めたばかりだった。妻の美幸はスーパーのパート勤めだったから、「どこへ行ったって、レジ打ちのパートくらいあるんじゃない?」とあっさり賛成した。
 釣り堀のオーナーになってちょうど一年が経った。祖父の頃からの常連の釣り人が何人かいて、ほとんど毎日のようにやってくる。アルバイトの三浦くんも祖父がオーナーの時から働いてくれている。いま大学の二年生でこのバイトを始めたのは中学生だという。よほど、釣りが好きなのかと聞いたら、ブラックバス専門で鯉や鮒は釣らないのだという。ただ、時給は安くてものんびりできるバイトがいいと、募集もしていない釣り堀に来たのだという。
 三浦くんはいわゆるイケメンで、なんでもそつなくこなしてくれる。一度、将来何になりたいのかと耕助が聞くと、彼は「何にもないですねえ」と答え、耕助さんはどうですか、と返してきた。耕助が「何にもないですねえ」と返すと、
「広告とかやったほうが良いんじゃないですか」
 三浦くんはそう答えた。
「やっぱりSNSとかで情報発信かな」
 耕助が言うと、三浦くんは驚くほど大きな声で笑う。
「さすがIT企業出身ですね」
 と小馬鹿にしたように言い、
「こんな釣り堀、SNSで広告したって一瞬人が来てお終いですよ。チラシだろうなあ。新聞の折り込み広告と、あとは電信柱に勝手に貼り紙かな」
 それを聞いて、それもそうだと耕助は苦笑いするのだった。(つづく)