隣の家の灯りがついている。

植松眞人

 どうも隣家の様子がおかしいのではないか、と思い始めたのは新年が明けて三日目のことだった。
 隣家の佐々木家は私たちが越してきた三年前には、すでに子どもたちが独立してご主人と奥さんの二人だけで暮らしていた。ご主人も奥さんもどちらもとても愛想のいい人たちで、初めての町に越してきた私たち家族はほっと胸をなで下ろしたことを覚えている。
 子どもたちにも、とてもよくしてくれ、ご主人は独立した息子さんの漫画本を、奥さんは手作りのクッキーを、それぞれうちの子どもたちのために持ってきてくれたりした。
 家族ぐるみのおつきあい、というところまでではないが、互いに気遣い合うほどには親しい隣家ということになるだろう。
 この町に越してきた三年前から、私の家族は年末年始は私の実家である関西に帰省していた。だから、佐々木家がどのように年越しをしているのか、よく知らなかった。毎年年末になると「帰省します。よいお年を」と挨拶をして里帰りをして、大阪土産を持って新年の挨拶をする。ところが、この年末年始はどうしても年末ぎりぎりまでこなさなければならない仕事があり、帰省を諦めたのだった。「今年は里帰りしないの?」
 そう奥さんに聞かれて、事情を話したのが昨年末のおそらく三十日くらいだっただろうか。その時にも、こちらの事情を説明するだけで、佐々木家がどう年末年始を過ごすのかということについては全く話さなかった。
 子どもたちは、私の実家に帰らないことで、お年玉がもらえなくなるのではないか、と文句を言っていたが、電話で「お年玉を送るから」という父の言葉を聞いたとたんに安心してゲームばかりする自堕落な毎日を楽しんでいる。妻は妻で、私の両親とは仲はいいほうだが気を遣わないわけではないので、ほっとしたのか「おせちも作らずに買う」と宣言して年末から寝正月の体制を整えていた。
 私が隣家の様子がおかしいのではと思ったのは玄関の灯りを見たときだった。佐々木家はいつも夕方陽が暮れてくると門灯をつける。そして、夜十時過ぎになるとそれを消す。あまりにきちんとしているので、越してきたばかりの頃は、タイマーでも仕込まれているのかと思っていた。しかし、実際にはご主人か奥さんが門灯をこまめにつけ、そして消していたのだ。だから、佐々木夫妻が旅行に出ている時には、門灯はついていない。
 そんな佐々木家の門灯が午後早くからついているのだ。大晦日、まだ陽が高いうちに最後の買い物を済ませておこうと、私たちは出かけたのだが、その帰りに門灯がついていることに私が気づいた。たいしたことではないと思ったのだが、ちょっとした違和感があり、なんとなく気になり始めて、私は改めてリビングの窓から佐々木家の門灯をのぞいてみた。夕方になりかけている強い逆光で、灯りがついているのかどうかはわからない。仕方なく私は、リビングの窓を開け、サンダルを履くと狭い庭を横切って、佐々木家の門灯が見える所にまで近づいたのだった。
 確かに灯りがついていた。まだ陽が暮れる前に、門灯がついているなんていうことはこれまでになかったように思う。だからこそ、ほんの小さなことなのに妙に気になるのだった。微妙に角度を変えながら、灯りがついていることを確認すると、私は妻にそのことを伝えようと自分の家のほうへと首をひねった。その時だった。私の目の端になにか動くものが一瞬見えたのだ。えっ、と私は声を出してしまう。もう一度佐々木家を見るのだが、さっき何かが動いたように思った方向には佐々木家の台所の小さな窓があるだけだった。
 おそらく、佐々木夫妻はどこかに出かけているのだろう。でなければ、門灯をつけっぱなしにするような人たちではない。だとすると、いま台所の窓で動いたものは何だったのか。
 もしかしたら、泥棒かもしれない。私はそう思いたち、庭先にあった息子の子供用の野球バッドを手に自分の家の玄関へと回った。バッドを手にした私を見て、妻は驚いて声をかけた。
「バッドなんか持って、どこへ行くの」
「佐々木さんちだよ」
「バッド持って?」
「どうも、留守のはずなのに、家の中に誰かいるんだ」
「ほんとに」
 心配した妻は私の後についてきた。私たちは玄関を出て、遠巻きに佐々木家を眺めていからゆっくりと近づいていく。やっぱり門灯がついている。私はバッドと後ろ手に隠しながら呼び鈴を押す。家の中から返事はない。何度か呼び鈴を鳴らすのだが、返事はなかった。なんとなく拍子抜けしたのだが、もし泥棒だったら返事をするわけがないと思い直し、私は佐々木家の玄関脇の物置との間を入っていく。妻の「やめときなよ」という声は聞こえたのだが、私は引っ張られるように奥へ奥へと入っていく。ちょうど、我が家の小さな庭から見える場所へと出てくる。おそらく佐々木家の台所があるあたりだ。小さな磨りガラスには鍋やフライパンらしきものがぶら下げられている影が映っている。
 私がじっとその窓を見ていると、とてもやはり影が動いた。手のひらのようなものが、磨りガラスの向こうでゆらゆらと揺れたように思えた。もしかしたら、そうかもしれないし、もしかしたら、せっかくここまで来たのにという気持ちが何かを見せてくれたのかもしれない。でも、それは一瞬のことで、もう磨りガラスの向こうにはなにも見えなくなった。
 私はしばらくじっとその台所の磨りガラスを見つめていたが、その後は何も見えなくなった。磨りガラスの向こうで動くような気配もまったくなかった。しばらく眺めていた私も手にしたバッドを持ちかえて肩に担ぎ、なんだか子どもが一人遊びをしていたような気分に浸っていたのだった。
 家に戻ると一足先に帰っていた妻が、私を見て笑っている。笑いながら、さっき私が見たという磨りガラスの向こう側の動きは何だったのか問いかけたいとう口元をしている。
 正月の三が日は結局佐々木家の門灯はついたままだった。毎日のようにリビングから佐々木家の台所の窓を見ていたが何かが動くようなことはなかった。そして、四日になると佐々木夫妻が長野の漬け物をもって訪ねてきた。娘夫婦がいる長野へ行っていたらしい。孫と一緒に温泉に入って大声でアンパンマンの歌を歌ったことなどを聞かされた。
「留守中、なにかありましたか」
 と、奥さんに聞かれたのだが、私は答えることができずにいた。そして、妻が昔行ったという長野の温泉について佐々木夫妻と温泉情報を交換し合っている。
 そのあいだ私は大晦日に見たあの磨りガラスの向こうの手と、佐々木さんの奥さんの手がなんだか似ているな、と思い、私の妻と話しながらひらひらと動く佐々木さんの奥さんの手を見ていた。