ひとつ手前の駅で降りる。

植松眞人

 地下鉄のホームに降りると、目指していた駅とは違っていた。一駅手前で間違えて降りてしまったのだが、次の電車がくるまでに十分以上待つくらいなら、歩いた方が速いと考えた。どうせ約束の時間までに一時間以上ある。もともと駅前の喫茶店でも探して、珈琲を飲みながら気持ちを落ち着かせようと思っていたのだった。
 祥子は改札を出て、案内板で地上に出てからの方向を確かめた。ふと案内板の隣を見ると、昔ながらのチョークで書く伝言板が設置されていて、子どものようなたどたどしい文字で『切磋琢磨してください』と書かれていた。誰が誰に当てて、切磋琢磨してほしいと頼んでいるのか。相手の名前も自分の名前も書かれないままに、切磋琢磨という画数の多い文字が伝言板に書き置かれていた。祥子は子どものような文字を書く自分の祖母を思い浮かべた。祖母が自分よりも数時間前にこの見ず知らずの駅に降り立って、祥子に向かって『切磋琢磨してください』と書き置いていったのではないかという気持ちになった。
 生前の祖母が祥子にそんな話をしたことは一度もない。いつもニコニコしているだけで、祥子に何かをしろとか、したほうがいい、などということは一度も言わなかった。それなのに、なぜ、切磋琢磨という言葉で祖母を思い出したのかが不思議だった。
 祥子は階段を一段一段あがりながら、切磋琢磨とはなんだろうと考えた。正確な言葉の意味は思い出せなかったが、一生懸命に自分自身を磨くのだという漠然としたイメージが浮かび、自分は何を磨けばいいのだろうと考え始めた。数年続けた仕事はただ営業から上がってくる数字を打ち込むばかりで、最近では営業社員が出先からパソコンやスマホで打ち込むことも多くなったので、これから先、仕事が無くなるのではないかと同じ仕事をしている社員たちの間でよく話題になっている。子どもの頃から習っていて、この会社に入社したころに再び習いだした書道は、どうにも頭打ちで、自分ではこれ以上うまくなるとは思えない。階段をあがりながら考えても、何を磨けばいいのかがわからない。祖母が出てきて、それを書いたのだとすれば、仕事や趣味の話ではなく、結婚のことなのだろうかと考えを巡らせてみる。大学時代に付き合いだして、今の会社に入ってすぐに別れてしまった男が祥子にとって最初で、いまのところ最後の男ではあるが、まだ三十までには二年ほどある。それほど焦る気持ちもなくやってきたが、そう思いながら地下鉄の駅の階段をあがり、踊り場まで来て、急に全身が泡立つように怖くなった。私が切磋琢磨しないから、仕事がうまくいかないのか。私が切磋琢磨しないから書道だってうまくならないのか。そして、恋人ができないのも、それが理由なのか。
 地下鉄を降りるまで、久しぶりに会う友人のことを考え、初めて行く友人のおすすめのカフェで、何を食べようかということしか考えていなかったのに、いま祥子の頭の中には切磋琢磨という言葉とともに、様々な不安がいっぱいになっている。そして、優しかった祖母までが、祥子の不安を煽り、なぜかこれからの人生が決してうまくは行かないのではないかという結論めいたものを重く祥子の行く先に置いたような気持ちにさせられていた。
 地下鉄の階段は長く、二つの踊り場を経て、地上へと続いていた。エスカレーターもない階段をあがり、やっと地上への出口が見えてきたところで、とても強い風が祥子を後ろへと引いた。地下鉄がホームに出入りするときに強く吹く風だと祥子は思った。思いのほか強い風は、階段をあと数段残したあたりで祥子を立ち止まらせた。ぐっと足元に力を入れて、祥子はふらついた身体を持ちこたえさせて、風が止むと同時にすっと背を伸ばした。
 ほんの一瞬、地上出口から差し込む強く暑い日差しに目を瞬かせると、祥子は勢いよく元来た階段を駆け下りた。一足飛びに階段を駆け下りながら、祥子はほんの少し笑い、掲示板の前に立つと、掌で『切磋琢磨』という文字を消した。(了)