初めての年越し

植松眞人

初めて、新年を迎えるまで起きていたのは小学校一年生の時だった。その年の大晦日もいつもと同じように、母がいつも以上に殺気だっていて昼間から銭湯へ行ってこいと命じられた。いつもなら「早く帰っておいで」と送り出されるのだが、まだ大掃除もおせちの用意も出来ていなかったのだろう、「しばらく帰ってこんとき」と言われた。一つ違いの弟と僕は、お言葉に甘えて銭湯で泳いだり潜ったり、近所のおっさんに怒鳴られながらも遊び倒した。風呂から上がると真新しい下着に着替えて、コーヒー牛乳を飲むと表へ出た。散々温もった後なので、弟の身体からはほかほかと湯気が上がっている。その様子がとても気持ち良さそうでじっと見ていると、弟が「どうしたん?」と僕に聞く。

家に帰ると父は家の表で小さな鯛を焼いていた。いつの間に髪型が奈良の大仏のようなパーマ頭になっている母に、そのことを伝えると、
「お父ちゃんが大晦日に鯛を焼くのは趣味みたいなもんや」と笑いもせずに言う。父は父で、「この時期に店で売ってる鯛はかっこばっかり立派でしょうもない味や」と言いながら七輪の火加減に余念がない。

父の鯛が焼き上がり、母のおせち料理が出来上がった頃、すっかり大晦日の夜はふけて、僕たちは紅白歌合戦を見ながら年越し蕎麦を食べる。うちで作る年越し蕎麦は毎年茹で加減がおかしく、蕎麦のお粥のようにぐにゃぐにゃだった。そんな蕎麦を食べながら、父が「やっぱり、蕎麦よりうどんやなあ」というのが決めぜりふで、これに「そうやそうや」と相づちを打つのが母のお決まりだった。

蕎麦を食べ終わり、紅白歌合戦も終わる頃、弟は眠気に勝てずにこたつの一角で眠っている。母がそんな弟に毛布を掛けてやる。僕もそろそろ眠たくなってくる。そんな時だ。父が僕に「お前も小学生になったんやから、年が明けるまで起きとかんかい」と言ったのだ。寝ろと言われたことはあっても、起きておけと言われたことがなかったので、僕はおどおどしてしまう。そして、少し大人扱いされた気がして期待に応えて起きていなければと意気込んでしまう。

それからの一時間ほどが長かった。NHKの行く年来る年が始まると、お寺や神社ばかりが映り、僕の眠気は最高潮だった。鐘の音に合わせるかのように寝たり起きたりを繰り返していると、ふいに父と母が「新年、明けましておめでとうございます」と挨拶を交わした。その様子を見て、僕も慌てて正座すると「明けましておめでとうございます」と挨拶をする。母は「よう起きてたなあ」とほめてくれて、父は「さあ行くぞ」と立ち上がる。

どこに行くのか、と聞く間もなく父が玄関へと向かい、僕がその後を追い、母が「いってらっしゃい」と声をかける。

外に出ると、たくさんの人が行き来していて僕は驚く。中には知っている大人もいて「おめでとう」とか「えらいなあ、起きてたんか」とか声をかけてくれる。そんな声に応えながら父の後をついていくと、向こうに提灯の明かりが見えた。いつも遊んでいる近所の神社だった。みんながその神社に初詣に出かけていたのだった。「お詣りにいくの?」と聞くと、「お母ちゃんと弟の分もちゃんとお詣りするんやで」と父は笑う。

そう言いながら、父は煙草を取り出して火を付けるために立ち止まる。僕も父の足下で立ち止まる。振り返ると小さく家が見える。前を見ると遊び慣れた神社が見える。その合間に立って、僕は父を見上げてみる。すると、父の吸う煙草の火が赤く見え、煙が空へと広がっていく。その向こうをじっと見つめていると、無数の星が浮かび上がってきた。