写真を撮られる。

植松眞人

駅前のバス乗り場でバスを待っていた。

初めてつくった遠近両用眼鏡に慣れないのか、目が疲れて仕方がない。だから本も読まずに、ただぼんやりと誰もいないバス停で僕はバスを待っていた。

体力にも仕事への集中力にも自信はあるのだが、近くが見えないという症状には参った。人はこういう小さなところから老いていくのだろうか、などと考えていると、小さく何かが光った。または光のようなものを目の端に感じた。

少し離れた木陰に一眼レフを構えた女が見えた。三十代に入ったばかりだろうか。ジーンズに薄手のジャケットを羽織っている。プロのカメラマンには見えない。最近、観光地でもない場所で一眼レフのカメラで写真を撮る女が増えた。そんな一人だろうと思った。

そして、そんな女が私のほうにじっとレンズを向けている。さっき光って見えたのは、きっとこのレンズだ。女は何を撮ろうとしているのだろう。他に誰もいないのだから、私を撮ろうとしているのだろうということはわかる。しかし、私には趣味であっても、この女からレンズを向けられるような特別なものがあるとは思えないのだ。

もしも、女が私を撮るとすれば、都会の喧噪の中で疲れた表情でバスを待つ疲れた男、というイメージにあてはまったというところだろうか。しかし、私は充分に疲れた顔をしているはずだし、シャッターチャンスを待っていても、何かが変化するような状況ではない。なのに女はシャッターを切らない。

もう少し疲れた男を演じてみたほうが女の意図に沿うのか。それとも、逆にもう少し背筋を伸ばしてみた方がいいのか。私は少しだけ考えた。そして、女が待っているのは私がもう少し背を伸ばす瞬間だと思い至り、そうしてやることに決めた。と、その瞬間、シャッターが切られる音が微かに私の耳に届いた。まだ、なにも動いていないのに。女がこちらにレンズを向けていることに気付いた数分前から、何も体勢を変えていないのに。女はシャッターを切った。

ふいにシャッターが切られたことに私は困惑する。周囲に犬か猫でも入ってきて、いい構図が出来上がったのかと辺りを見渡すがそんな気配はない。女は何をきっかけにシャッターを切ったのだろう。私は女のいたほうに視線を戻したのだが、すでに女はこちらに背を向けて人混みに消えていくところだった。