アジア大会開幕式

冨岡三智

この8月はワヤン・べベルという芸能の活動プロジェクトでジャカルタを拠点にインドネシアに滞在していたのだが、ちょうどアジア(競技)大会開幕と重なった。というわけで、今回はアジア大会のお話。今年のアジア大会はジャカルタとパレンバン(スマトラ島)の2会場で行われたが、開会式は8月18日(インドネシアの独立記念日の翌日)にジャカルタのゲロラ・ブン・カルノ競技場で行われた。実はインドネシアでアジア大会が開催されるのは1962年に次いで2回目で、その初回時にゲロラ・ブン・カルノが建設されている。

この8月には、大会開催に併せてインドネシア国立博物館で『アジア大会の歴史』展が開催された。1962年の大会の新聞記事、記念切手、記念レコード(インドネシア各地の歌)などの展示に加え、開会式の映像も流された。その時の演舞が、大勢の生徒が手をつないで沢山の円を描き、各円がぐるぐる回るという学校ダンスに毛の生えたような素朴なものであることに驚く。今年の見事なマスゲームの見せ方を思い起こすと、インドネシアの56年間の発展には目を見張るばかりだ。ちなみに、ジャワ島中部のプランバナン遺跡の前で開催される観光野外舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』は1961年に開始した。大規模な建設を伴うコンテンツ(スポーツや芸術)を通してナショナル・アイデンティティを本格的に打ち出そうとしたのが1960年代初めのインドネシアなのだ。

さて、今年の開会式では、1500人を動員して人文字を描くように見事な演舞が行われた。この舞踊は厳密にはサマン(ユネスコ無形文化遺産に認定されたもの)ではなく、ラト・ジャウ(Ratoh Jaoe)である。両者はどちらもスマトラ島アチェの舞踊だが、サマンは男性舞踊、ラト・ジャウは女性舞踊である。舞踊の型は両者ほとんど同じで、座って全員の動きがシンクロするように踊る。なぜアチェの舞踊を選んだのだろう…と思っていたのだが、ジャカルタの学校では大体どこでも教えていて――3回くらいの指導でできるようになるから――踊れる生徒が多いというのもあるらしい。テンポが速く高揚感があり、動きが揃って見栄えがし、大人数で上演できて、しかも踊り手を集めやすいという点で、今回のようなイベントには非常に似つかわしい。皆で一斉に踊るから、参加者は達成感を感じることができただろうな…とも思う。ちなみに、2016年にはタマン・ミニ(ジャカルタにある、インドネシア全州の文化を紹介するテーマパーク)設立記念日に6000人のラト・ジャウ上演があり、最多人数記録を建てている。この時の上演が今回のヒントになっていたのかもしれない。