インドネシアで住んだ家(4)3軒目の家

冨岡三智

今回は3回目の長期滞在で住んだジャワの家について。前の2回が留学ビザだったのに対し、今回(2006年8月〜2007年9月)は調査ビザでの滞在。受け入れ機関は元留学先なので、今回もスラカルタ市内カンプンバル地域で、前回と同じ人に頼んで家を探してもらった。こんどの家は車が通れる道に面しており、家の前に車が3、4台は停められる空きスペースがある。今までの家よりも広いとはいえ、また家が立派な作りで家具付きとはいえ、思ったより賃貸料は高かった。この家だけでなく、この市役所裏の一帯の賃貸価格は前回留学した時よりも上がっている。ジャカルタ資本がこの辺の土地を買って(借りて?)商業ビルにする例が増えてきたようだ。

私が借りた家の所有者は大学教授である。実家は私が最初に住んだ家の町内にあるが、普段はジャカルタの大学で教え、たまに帰省してこの家に泊まっている。定年退職したらこの家に住むつもりだが、1年だけなら貸しても良いという話だったらしい。家の管理は実家の人がしている。持ち主の祖父?曾祖父?は近所にある銀行(カンプンバルには銀行が数行集まっている)の創立者の1人だそうで、この家はかつてその銀行の社宅にしていたらしい。社宅といっても、3、4人で住む感じだが。

この家に住んでみると、時折、高額な家具や電化製品や美容品などの頒布会のチラシが投げ込まれる。同じカンプンバルに住んでいても、今までこういうことはなかった。また、ヤクルト事業(ヤクルトレディなどを統括する代理店?)を展開しないかと営業に来られたこともあるし、保険の売り込みが来たこともある。住む家のクラスによって入ってくる情報は異なることを、ここに住んで初めて痛感した。

近所はこの辺りでワルンを出して商売している家が多い。一番親しかったのが米から雑貨まで商う店で、店主は私とほぼ同年の夫婦。私がテレビに出た時は、ここでオンエアを見せてもらった。それから左隣のご飯屋。女性と子供とベチャ(人力車)引きの老父が住んでいて、老父はもう流しで車夫をするのは無理なので、頼まれた時だけベチャで荷物運びなどをしている。近所の人たちは電気代などの支払い代行を頼んでいたので、私もお願いすることにし、それ以外に正装して出かける時や、自分が主催する事業で荷物を運ぶ時にベチャを出してもらっていた。はす向かいの店は氷屋(他にも雑貨を売っていたかもしれない)をしていて、やけどをした時にここで氷を買った記憶がある。店番のおじいさんはラジオでよく影絵やガムラン音楽を聴いていた。

1、2回目に住んだ裏通りの家と違って、この家はグーグルのストリートビューで出てくる。周囲の家はあまり変わらないが、この家の外観はかなり変わっていた。外壁が違う色で塗り直され、前の空きスペース一杯に車庫が建て増しされ、車庫のフェンスの合間から大きな車やバイクが見える。大家さんはもう定年退職してこの家に戻ってきたのだろう。このストリートビューは2016年1月の撮影だが、それから変化はあるのだろうか…。