一列横隊、一列縦隊

冨岡三智

お昼に時代劇『大江戸捜査網』の再放送をやっている。放送開始は1970年。隠密同心と呼ばれる数人組が秘密捜査の末に敵を確定すると、「隠密同心 心得の条 …(中略)死して屍、拾う者なし、死して屍、拾う者なし」の名ナレーションにのって横一列になって大門から出発するのだが、この場面にくると、刑事ドラマの『Gメン’75』を思い出してしまう。

学校で友達とGメン歩きをやって叱られた記憶があるが、幼稚園や学校に上がると通学や遠足で2列縦隊で歩くことを教えられる。道いっぱいに広がって歩くのは他人や車の通行の邪魔になるし、危険でもある。それだけに、大人が横一列に歩くという演出にクレームはこなかったのだろうか…と少し気になる。それはともかく、横長のテレビ画面では横一列に俳優が並ぶと迫力のある構図になるとか、前後に並ぶと序列が表現されてしまうけれど、横一列だと同じチーム仲間だということが表現しやすい、などという演出意図があったのだろうと思う。

横一列という歩き方は、街道の道幅が今よりも狭かった昔には実際なかっただろう。『大江戸捜査網』は時代劇だが、制作しているのは『Gメン’75』と同時代の人たちだ。時代物で横一列になるということで思い出すのは、歌舞伎の『白波五人男』である。ただし、あれは細長い花道を縦一列になって歩いて登場したのちに、「回れ右!」という感じでバッと客席の方に全員が向く結果、一列横隊になるのであって、基本的に一列縦隊である。

横一列に人物が並ぶという構図は伝統絵画ではよくあるけれど、体や顔は横を向いている。つまり、一列横隊になっている。エジプトの壁画やジャワなどのワヤン(=影絵)がそうだし、西洋のルネサンス以前の肖像画も真横を向いている。こういう肖像画をプロフィールと呼ぶように、横向きにはその人「らしさ」が表現しやすいと古くから人は思ってきたようだ。遠近法がない時代、身体という立体を表現するには、横向きの方が都合が良かったのだろうと想像する。それだけに、観客に正対するのは、より現在的な感じを持つ表現だという気がする。

ここで話は急にジャワ宮廷舞踊に飛ぶ。本来の宮廷舞踊というのは4人や9人の群舞で踊るが、一列縦隊になって入退場するのが基本である。しかし、私の留学していた芸術大学では、入退場の時間を短縮するなどのため、2人ずつ並んで4人が入場したり、9人が最初からフォーメーションを組んで(3列になる部分もある)入場したりすることが多かった。私はこれが大嫌いで、自分が公演する時には絶対にやらなかった。複数人が横に並んで入場する様は、私の目には軍隊の入場のようにも現在風にも見え、せっかくの伝統舞踊のオーラが消えてしまうように見えるのだ。

ちなみに、ジャワ舞踊では横一列に並ぶフォーメーションを「ジェジェル・ワヤン jejer wayang」と呼ぶ。ジェジェルというのは横列のことである。そして、縦一列になるフォーメーションを「ウルッ・カチャン urut kacang 」と呼ぶ。これは豌豆などの豆(カチャン)がさやの中で一列に並んでいる(ウルッ)という意味。私の師匠はこの2つを区別したが、区別しない人もいる。私は一粒の豆になったつもりで並びたい…。