ネズミのいる生活

冨岡三智

今年は子年というわけで、今月はネズミとの思い出をあれこれ語ってみよう。

●留学前の日本での話~
ある夜、風呂上がりのあと台所で本を読んでいたら、オーブンの下からすぐ近くの棚の下に何かが走った気配がする。直接姿を見ていないが、これはネズミだなと直感。しばらくすると、もう少し距離が離れたコーナーの物陰に走る影。またしばらくすると、今度は素早く移動せず、様子を伺いながら出てくる。果たしてネズミだ。物陰でない所にまで出て来たから、私の存在にはまだ気づいてなさそうである。このまま悟られなかったら私の勝ち…と勝負を挑む気になり、私は息をひそめ、視線は床に落とさず、気配を消した。…ネズミは物陰のない所を横断して、私のいる食卓の方に近づいて来た。が、まだ私に気づかない。…私は木になりきろうとする。…私の足元の近くまで来た。…私は緊張感を出さないように気をつける。…が、ここでネズミがいきなり私の足の甲に上ってきた!しばらく我慢したものの、ついに足が浮いてしまった。当然、ネズミの方も驚いてオーブンの下に一直線に逃げ込んでしまった!(実は食卓はオーブンの近く)ネズミにとっては、私の足は小山にしか見えなかったのかもしれないが、いくら何でも足に上った時点で気づきそうなものだ。私の気配の消し方がうまかったというより、あのネズミの方が鈍感だったように思えてならない。

●ジャワの話
最初の留学時に住んだ家には、二階の物干し場に上がる階段の中にネズミが住んでいた。何匹かいたかもしれないが、私が目にする時はいつも1匹だけだった。この家ではその階段がある家事部屋が一番奥で、次に水浴場と水屋があり、次に寝室があり、一番手前が客間になっていた。入居当初はネズミも警戒心が強くて家事部屋でもなかなか目にすることもなかったのに、いつの間にか水浴場に、さらに寝室に進出してくるようになった。とはいえ、私が気づくと猛ダッシュで階段の方に駆け戻る。私は家にいるときは客間で舞踊の練習をしていることが多かったが、そのうち寝室との境(ドアはついてない)の所にまで来る気配がするようになった。その頃には、私がネズミを目撃しても昔ほど速攻でダッシュせずに一呼吸おいて逃げ出したり、ダッシュしても途中で一瞬立ち止まってこちらを振り返ったりするようになっていた。

そんなある日、私は男踊りの練習に疲れて床に腰を下ろしていた。腰の両脇に垂らしたサンプールという布はつけたまま、無造作に後ろに払っていた。壁にもたれてお茶を飲みながらぼーっとすることしばし…、さて練習を再開しようとサンプールを見ると、なんとサンプールの上にネズミが後ろ座りに座っている!目と目が合い、お互いにフリーズしてしまった。とは言え、ネズミの方が一瞬早く我に戻り、ダッシュで逃げ出す。普段はネズミの気配が分かるのに、しかも私が身に着けている布の上に座られているのに、全然気づかなかったのが不思議だ。それにしても、なぜサンプールの上に座ろうと思ったのだろう…。

このネズミは一度水浴び場の水溜めに落ちたことがある。夜中に私が机に向かっていると、水浴び場から急にパーンと物が飛ぶ音が聞こえた。さてはポルスターガイストか!?と気味が悪くなりつつ水浴び場に行くと、水溜めからパシャパシャ水音がする。見ればネズミが足掻いていて、私の顔を見るやキーキーと声を出して必死に鳴く。横に水浴び用のプラスチックの手桶が転がっている。さては、ネズミがこの手桶に飛び乗ったところ、手桶がひっくり返ってネズミが水溜にはまり、その反動で手桶は宙に舞って床に音を立てて落ちたのだろう…。トム&ジェリーみたいな状況だが、それしか考えられない。それはともかく、手桶を横にして水面に平行にネズミの方に近づけて掬い上げ、床に放してやると、いつもほどに機敏でないが階段の方に戻っていった。

この家のネズミには他にもいろいろと思い出があるのだが、どうも私を警戒しつつも存在には気づいてほしくて距離を縮めてきたような気配があった。家ネズミは2年以上生きることもあるそうだから、同一のネズミだったのではないかなと思っている。日本の我が家にいたネズミもそうだが、はしこい割には間抜けなところがあって、そこが愛嬌のあるところかもしれない。