インドネシアン・ダンス・フェスティバル(IDF) 

冨岡三智

所用があって10月末からインドネシアに行っていたので、11月4日から8日までジャカルタで開催されていたIDFの作品をいくつか見ることができた。というわけで、今回はその簡単な報告。あまりに素直に感想を書いたので、気に障る人がいたらご容赦!

IDFはジャカルタのタマン・イスマイル・マルズキ劇場(TIM)他で開催されるインドネシア最大の国際ダンス・フェスティバルで、1992年から隔年に行われ、今年で12回目。その前身になったのが、1978年から1985年まで開催されていたFestival Penata Tari Muda(Young Choreographers Festival)で、インドネシアの若いコンテンポラリ舞踊家を育てることを目的としていた。両方のフェスティバルを生み育てた舞踊評論家のサル・ムルギヤントには、今回「IDFライフタイム・アチーブメント・アワード2014」賞が授与された。この賞は2012年から始まったらしい。”人生を掛けて達成した”賞?と思ったら、日本語では特別功労賞と訳すみたいだ。功労者を顕彰するくらいこのイベントが成熟した(=関係者が年取った)ということなんだなあと感慨深い。

以下、見た公演は次の通り。名前の後の( )内は出身国で、イはインドネシアの略。+はコラボレーションを表す。
11月4日 オープニング・イベントの後
(1)「Roro Mendut」:Retna Maruti(イ)+Nindityo Adipurnomo(イ)
11月5日
(2)「Soft Machine : Rianto」:Rianto(イ)、Choy Ka Fai(シンガポール)のプロジェクト
(3) 「Cry Jailolo」:Eko Supriyanto(イ)
(4) 「In Between」:Katia Engel (ドイツ)+Benny Krisnawardi(イ)

(2)と(3)ではドラマツルグがクレジットされていた。日本でもドラマツルグというのをここ数年で聞くようになった気がするが、インドネシアでも使われ始めたことに驚く。インドネシアでコレオグラファーという言葉が定着したのはIDFのおかげだが、インドネシアの制作スタイルでドラママツルグが根付くかどうかはこれからだなと思う。

(1)はジャワの伝統舞踊ベースの作品。「ロロ・ムンドゥット」はジャワではクトプラ大衆演劇などでよく取り上げられる悲恋物語。マルティ女史はソロ出身、1970年代からジャカルタでパドネスワラ舞踊団を主宰する大御所で、出演・制作スタッフはいつものパドネスワラメンバー、作風も定番の、ラングン・ドリヤン風、歌と舞踊で構成する華麗な舞踊劇。ニンディティヨ氏はジョグジャカルタでチュマティ・アート・ハウスを経営する画廊オーナー兼美術家。ちなみに、どちらもガリン・ヌグロホ監督の映画『オペラ・ジャワ』に関わっている。

感想は、まず、コラボが面白くなかった。オープニング・シーンでしばらくニンディティヨ氏が制作した映像が流れたり、劇中に彼が制作したオブジェが舞台に置かれたりするのだが、舞踊劇と彼の作品はばらばらに存在するだけで、有機的に絡んでいない。私自身がどちらのファンでもあるだけに残念。次に、パドネスワラ作品の出来は安定の定番だが、それだけに面白みが薄い。だが会場では絶賛の嵐だった。期待を裏切らない作風がいいのかもしれない。

セントット氏が、ヒロインに思いを掛けながら拒絶され、彼女の恋人を殺す将軍役で出演するのが楽しみだったが、老齢のため、足を高く上げるシーンで足元が少しぐらついていたのが残念。将軍は荒型なので、足を上げる型が多いのだ。氏には、突然何をするか分からない将軍の非情さや凄みがあり、舞台では他を圧倒する存在感がある。その存在感があるのだから、足を上げない振付にすれば良いのにと思う。氏はもう、伝統舞踊の型を破っても許される境地に達していると思うのだが。

作曲家のスボノ氏は舞踊劇には欠かせない人だが、この人の曲はここのところ(と言ってもここ10年くらい)どんどん妙な方向へ進んでいる。一言でいえば凝りすぎ、ひねくり過ぎ。もっと素直な調の歌にすればいいのに。場面転換をつなぐ曲もうるさくて、おおらかなジャワ舞踊の美しさを減じている。マルティ女史の素晴らしいところは、どんな曲を使ってもパドネスワラ・テイストを打ち出すところで、やりたい放題やるスボノ氏をよく御してるよなあといつも思うのだが、スボノ氏の曲には最近あまり魅力を感じない。

(2)端的に言えば、リヤントの身体表現は魅力的だが、解説に書かれたコンセプトはつまらない。上に挙げたパフォーマー名はプログラムのスケジュール一覧に書かれている通り。しかし、この作品の解説ページにはコンセプト/マルチメディア/ディレクションとしてChoy Ka Fai、ドラマツルグとしてTang Fu Kuenの名前があるものの、踊り手のリヤントの名前はない(文中に経歴は掲載しているけど)。そこがまず引っかかる。タイトルのソフト・マシーンというのは身体を指しているとのことだが、身体をマシーンと呼ぶセンスも好きではない。チョイはリヤントを含め4人のアジアのダンサーと「ソフト・マシーン」プロジェクトを行っているが、解説文にあるのはプロジェクト全体の背景についてのチョイの説明ばかり、つまりチョイの自分語りばかりで、まるでエゴの強い西洋人のようだ。ここには、チョイがリヤントにどう向き合って作品を作ったのか全然書かれていない。チョイは、西洋人キュレーターの一部が持つ、アジア舞踊に対する帝国主義的なまなざしに対抗して、「アジアからアジアのための」ディスコースを創り出すことを目的としてこのプロジェクトを立ち上げたと言う。しかし、そう言う彼自身が西洋のまなざしで以てリヤントと作品作りをしたのではないか? 彼自身が、帝国主義から独立を果たした国の独裁者になって、アジアを代弁しているのではないか?という疑問がどうしても湧いてくる。

もし、この作品がリヤントのセルフ・ドキュメンタリーであると紹介されたなら、私は納得しただろう。というか、解説文を読まずに素直にこの作品を見たら、たいていの人にはそのように見えただろうと思う。この作品の中で、リヤントはジャワの伝統女性舞踊、彼の出身地バニュマス地方のレンゲル(女性の踊り手がほとんどだが、男性も存在する)、ジャワの男性荒型舞踊を踊る。彼はここまでは伝統衣装を身に着けていて、男性舞踊をするときは、下半身のバティックを脱いで伝統的な男性舞踊用のズボンになる。その合間合間に、彼が自身をインドネシア語と英語で語る。その後、彼のジャワや日本での暮らしを映したビデオがあり、そこには彼の妻も登場する。彼は、日本とインドネシアを行き来して活動している。この映像が流れている間に、彼は着替えてメークを落とし、シャツ姿になって、コンテンポラリダンスを踊る。

リヤントは体のバネが非常にある踊り手だ。男性という性を持つが、男性舞踊も女性舞踊もどちらもよくするし、インドネシアの中でローカルな出身地の舞踊もメジャーなジャワ舞踊もよくするし、伝統舞踊もコンテンポラリ舞踊もよくする。彼はこの3軸それぞれにおいてバランスを取って活躍している。作品全体を通して、私は「彼はどこから来たのか」という問いに対する回答を得ると同時に、「そして、彼はこれからどこへ行くのか?」という疑問をリヤントと共有する。もし、私がこのような方向でリヤントと共に作品を作るなら、映像は使わないだろう。なぜなら、舞台にリヤントがいて、上のような舞踊を全部やるというだけで、インパクトが強いからだ。なるべく着替えもせずに、彼の身体が、ある時は女性から男性へ、伝統からコンテンポラリへとトランスフォームしていく様を、語りを挟まずに見せることができたらいいなあと思う。身体にテーマを置くなら、日本とインドネシアという軸はここに入れこまない方が、テーマが純化するような気がする。

(3)今回一番の収穫。北マルクのジャイロロ湾のサンゴ礁破壊に対する哀しみがテーマ。だが、メッセージが直接語られることはない。マルクの伝統舞踊のステップを取り入れ、男性が最初は1人、最大で8人登場し、基本的に全員が同じ振りを繰り返す。ジャワ宮廷舞踊ブドヨを連想した。というよりも、型だけ並べて作られる新作ブドヨ(風)作品以上に、ブドヨの本質がここにあると感じた。私はブドヨの本質は、個々の踊り手が大地を繰り返し踏みつけることによって生まれるエネルギーの塊がうねりを生み、それが一個の生命体となって大地を這っていくところにあると思っている。*1

約1時間の作品中、踊り手は飽くことなくステップを踏む。それは私の見たこともないものだったが、振付家が新規に作って振り付けたものではないようだ。踊り手の体内から沸き起こってくるリズムがステップを踏ませている、という風に見える。そうでないと、疲れも見せずに1時間も踊り続けられないだろう。果たして、それは北マルクの地域の伝統舞踊にあるステップで、皆この地域出身だということだった。心臓の鼓動のように脈打つリズム。舞台上の人数が次第に増えていき、そのステップが波のように広がり、そこに海が感じられる。ブドヨを踊っていると、私は水平線が見えてくる気がする。そして、自分たちの身体が波になったように感じる。そんな波を私はこの作品から感じ取ることができた。個々の踊り手の波が寄せ集まって大きなエネルギーの塊となっていく。その塊は時として私に向かってくることもあり、そんな時に私は自然を奪われた生物の悲しみや怒りが伝わってくるような気がした。けれど、舞踊も音楽もそれを情緒的に訴えるわけではない。ただ、エネルギーとして迫ってくるだけだ。

作品の後半で、踊り手たちが客席の方に向かって静止する時間があった。その時間は間(ま)と言うにはあまりにも長かったが、観客の誰もそこで(終りだと思って)拍手しなかった。拍手させない何かがみなぎっていたのだ。私は固唾をのみこんで、このいつまで続くとも知れぬ時間を共有した。その間に、この作品のシーンがいくつかフラッシュバックした。人は死ぬ前、走馬燈のように自分の一生に起こったことを思い出すというが、それを体験したような気がする。

(4)寝てしまった。踊り手はコモドドラゴンのごとく、床を這うように動く。彼が舞台で占める空間は、舞台床上60〜70㎝までだ。舞台背後には巨大なスクリーンが一面にあって、彼の動きを上から俯瞰した映像(ライブでなくて別撮りだと思う)が映し出される。スクリーンで押しつぶされそうになった狭い舞台空間の隙間を、彼が1匹、右(左?)から出てきて這いずり回って出て行き、次に逆方向から出てきて、その次は…、そこから先の記憶がない。だんだん彼が隙間から出てくるゴキブリに見えてくる…。後で聞いたら、人数が次第に増え、最終的に5人くらいになったらしいが、皆ずっと舞台を這いずり回っていただけで、1匹が立ち上がるとか、映像と格闘するとかいう事態は起きなかったという。舞踊の映像ドキュメントも作った私が言うのもなんだが、映像でパフォーマンスを見るのはつまらない。舞台の息遣いが伝わらないからだ。なのに、舞台空間のほとんどを、這い回る人の退屈な映像に明け渡してしまうなんて、もったいない。

*1 「水牛」2004年4月号にも書いています。http://suigyu.com/suigyu_noyouni/2004/04/post-83.html